静かにならんかなぁ

掲載日2009年08月30日
 とある年の3月下旬にグリーン車の取材に向かった。この時期、学校は春休み。年度の変わり目で宿題も少なく、しかも暖かい。子供たちにとっては旅行日和、といったところだろうか。そのためか、その旅行では色々な列車で子供連れを見かけた。しかも、春休みとは無縁のお父さんは見えず、母子の旅行が多かった。
 そこで、今回の話である。まぁ、この前振りをしておけば、何を言いたいか見当はつくだろうし、一方でそれに対して「仕方がないじゃないか」という批判も出てくると思う。一応書いておくと、車内で、子供の音がひどい、ということである。
 なぜ「声」ではなく、「音」なのかというと、もちろん声もあるが、それは声ではなく叫び声だったり悲鳴だったりする。また、何か物を使って頻繁に音を出すので(テーブルをがちゃがちゃ言わせるなど)、「音」にした。まぁ、ひどいものである。一応、グリーン車である。一応、普通席よりも静かであることが望ましい。ところが、音は出し、通路は徘徊し(大体のグリーン車はカーペット敷きなので、徘徊させても安心?)、泣きじゃくりと、私がにらんで止まらないものか、とも思ったほどである(逆効果か?)。
 更に、問題はその後である。こういう音を発している一方、親はあんまり対処しない。これは、「かわいそうだから」子供を自由にさせたいからだろうか。動物と同じく注意しても聞かないからだろうか。それとも、その悲鳴や奇声が、その子の親にとってはその場を和ませる美声に聞こえるのだろうか。アダルト・チルドレンではないが、親自身も“親”になり切れていないのかもしれない。

 まぁ、こういう話題は今に始まったことではなく、子供の音を経験したのは、今回が初めてではない。

 周りは我慢すればよいかもしれない。しかし、これが最終的には、その子供にとってもよい影響にはならないのではないだろうか。電車で暴れ回っても注意されないまま成長した子供は、将来大きくなるとまともになるのだろうか(そのいい例が、ドア付近の座り込みなど)。当然ながら、そんな子供が親になっても、注意できるはずがない(子供と一緒に奇声でも発するのだろうか?)。とあるブログに、その醜態を堂々と書いたブログがあった。この親子の被害者ではないが、是非ともお会いしたくないものである。どんな理由でその母親がグリーン車を選んだのかを問うてみたいものである。そんなにお金があるのなら、車両ごと貸し切って欲しいものである(そこでどんな音を出しても、誰も迷惑がらない)。
 特別席馬鹿の私として言わせてもらうと、基本的に親子連れは、普通席に座ってもらいたいものである。どうしてもグリーン車に乗りたいのなら、その列車に個室を設けさせるよう、JR各社に意見を出すべきである。ただしその個室も、それほど防音対策は施されないようで、今はなき東海道新幹線の個室を利用した時、隣の個室に泣きじゃくっていた子供がいたが(その家族の出発駅である豊橋で、見送りに来てくれたお婆ちゃんと別れるのが嫌で、かなりわめいていた)、丸聞こえだった。ただ、周辺への配慮の結果の個室ならば、この家族に対しては何も言えない(苦情の矛先は、薄い壁にした鉄道会社である)。
 ちなみに、「お前はどうだったのか?」と言われるかもしれない。それに対しては、私は残念ながら、小さい頃は列車(特に中長距離)には乗らせてもらえず、自動車移動ばかりで、ほとんど無縁だった。そうやってみると、家族旅行では、自動車を使う方がよいのかもしれない。また、これはいい加減な答えかもしれないが、自分自身静かな方だったようである。

 「子育ては大変」だという。子供が五月蠅くても、周りは、あんまり嫌な顔をするべきではない、と言うかもしれない。しかし、子供を静めさせることも子育て、つまり教育ではないのか。また、音だけではなく、靴を履いたまま椅子の上に載ろうとする様子なども、まわりが言わないと、将来が危うい(のかもしれない)。公共の場のマナーは、子供がいるという免罪符は通用しない。

 最後に、グリーン車で見る全親子が、この対処をしていないわけではないと思う(というよりも、そうであって欲しいと思う)。ただ、グリーン車に入ってくる子供を見ると「あぁ、次の列車にすれば良かった」と必ず思ってしまうものである。




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