手話を使うってのはどうだろう
16年7月下旬、神奈川県内で、19人が一度に殺されるという惨い事件があった。しかも容疑者は殺害していた現場で働いていたそうだ。
(以降、障害者と言ってもカテゴリとしてはいくつかはあると思いますが、特に区分せずに書いていきます、また、“しょうがいしゃ”を漢字に変換する際に色々な表記がありますが、一般的な障害者とします)
電車に乗ると時々、障害者と同乗することがある。特に急ブレーキを掛けたわけでもなく、何でもないときに障害者の彼らはわめき声を出すこともある。この事件のあった後、同乗の機会があったが、改めて、こういう人たちと接するのは大変だろうと感じたが、容疑者はそれで給料を貰っていたんであって、殺していい理由にはならない。現在日本の法律で殺人が許されているのは、拘置所の人間だけだ。しかも、色々な判断を元にした執行であり、拘置所の職員が勝手に殺していい訳ではない。
一方、いわゆる「健常者」と言われている人の中に、キチガイはいる。隣町にもいるようだ。遠回しで「DQN」とか言われるタイプの人物だが、自分さえよければいいと、我関せずの酷い輩のことである。障害者と付けられた人だけを殺したとしてもそういうキチガイがいるようでは、容疑者の言う良い世の中にはならない。
そもそも一度に19人を殺した現場は、その容疑者が半年前まで働いていた職場だったということは、殺めた相手には顔見知りも多いはず。尋常でない人数も含め、容疑者(この文章を執筆している現在は健常者の扱いですが)の方が十分キチガイではないか。
…と、ここで、その事件の話をしてもどうしようもない。ただしここで、いい機会なので、この提案をしたいと思う。
手話を日常的に
手話を、日常的に、健常者でも使えるようにしてはいいのではないだろうか、と以前から思っている。耳が不自由な人たちと、筆談以外のコミュニケーション手段としてではなく、耳が不自由でない者同士でも使うことを想定している。また、例えば日本語が分からない外国人がいて、英語で話すような使い方ではない。
今はスマートフォンを使ったSNSを筆頭に、リアルタイムでやりとりできるコミュニケーションツールが多いが、会話に勝る速達性はないだろう。また、モンスターを集めるゲームなど、スマートフォンの外出先での利用は危険を伴い、何より利用者本人以外の人間にとって邪魔である。
とは言いながらも、手話を使う必要がない人も、手話のようなものを使う機会はあるのではないだろうか。“手刀”がそれではないかと思う。例えば、相撲の力士が試合に勝ち褒美を貰うとき、感謝を示す態度として、親指を上にして手を上下に動かす。力士でなくても、世代によっては、エレベーターなどのドアで「ちょっと失礼」みたいな感じで使う人も多い。手話でも感謝を示すとき、似た動きがある。この動きはおそらく、手刀がベースではないかと思うが、「手話だ!」と身構えずに、手軽に使えればと思うのである。
どういうときに使うのかというと、五月蠅い場所や、静かな場所など、音を遮られるような場面で使うのである。使えたら便利だなぁと思うのが、駅の対面式ホームでの話し。上りホームに自分がいて、下りホームに友人がいたとする。「今度飲みに行こうよ」「土日なら空いているよ…」なんて話をしていると、やがて下りホームに電車がきて、友人が乗ったとする。その話の続きをするため、開いてないドア(こちら寄り)に来られたとしても、「じゃあね」と言う感じで手を振るくらいしかできない。電車の中では携帯電話での通話はNGだ。こういうときに手話を使えば、「来月なら仕事も落ち着く」とか、「美味しい焼鳥屋を知ってるよ」とか、すぐに会話の続きが出来るかもしれない。
今、こういう風に使うと、結構目立つだろう。それはつまり、使う人がいない。実際私も、巷で手話を使っていり様子はなかなか見ない。
障害者の人たちだけが使う特殊なものから、健常者も使うものになれば、障害者との(色々な)垣根も下げられるのではないかと思う。聾唖の人は最近、手話ではない方法でコミュニケーションを取る人が増えているという。主に手話を使う団体が、手話の普及を目指しているようだが、(周囲に聾唖の人がいなくても)健常者にも普及するように働きかけてもいいのではないだろうか。
話はズレますが独り言を
といって、手話を覚えられたらいいと思うものの、そういう機会がないのと、自分以外の話し相手も手話が理解できないと会話が成り立たないわけで、多分難しいんだろうなぁと。NHKの手話ニュースで、以前は喋りながら手話をしていたアナウンサーがいらっしゃったが、この方は亡くなったらしい。
実際、お前はどうなのかというと、周辺が五月蠅いときに、ジェスチャーを補助的に使って(健常者の)相手と話すことはある。手話とは違うので自由だが、ジェスチャーで表現できることは限られてしまう。
また、障害者全体に対して、私自身、車椅子で痛い目にあっているわけで、ちょっと勘弁して欲しいと思うことはある。また、上記のような同乗の際、うるさいな…と思うこともある。ただ、このリンクにも書いたが、特別視してバリアをなくしてしまうのも好きではない。
この容疑者が直後に自殺したら、死人に口なしをいいことに、イスラム教を騙ったテロ集団が、「我々の戦士が行った」とか、勝手に犯行声明を出していたり…。
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