千國写真館
芭蕉の歌碑
山形県山形市大字山寺
山 寺
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宝珠山阿所川院立石寺(りっしゃくじ)
婆 堂(うばどう)

この堂の本尊は奪衣婆の石像。ここから下は地獄、ここから上が極楽という浄土口で、そぱの岩清水で心身を清め、新しい着物に着かえて極楽に登り、古い衣服は堂内の奪衣婆に奉納する。
 一つ一つの石段を登ることによって、欲望や汚れを消滅させ、明るく正しい入間になろうというもの。 左の大きな岩はヽ笠岩とも笠投石ともいい、慈覚大師が雨やどりしたところとも伝えられる。
  (説明板から)
芭蕉の像
入場料を払う
ここから、歩く・歩く・歩く
階段が続く・続く
納経堂と開山堂
納経堂
探し回った三重の塔、ミニチュアであった
芭蕉が奥の細道ルートから外れてわざわざ来た所。『閑かさや 岩にしみ入る 蝉の声』を歌った所。
蝉の声の蝉はどんな蝉か、昭和初期に論争があったそうです。アブラゼミかニイニイゼミか?。
芭蕉が山寺を訪れたのは七月十三日(新暦)頃、鳴いていたのはニイニイゼミで、この頃のアブラゼミは鳴かないそうです。ニイニイゼミの勝ち。
せみ塚
松尾芭蕉のおくの細道の機構文に、山形領に立石寺といふ山寺あり。慈覚大師
の開基にして、殊に清閑の地なり。一見すべきよし、人々勧むるによりて、尾花沢よりとって返し、その間七里ばかりなり。日いまだ暮れず。麓の坊に宿借り置きて、山上の堂に登る岩に巌を重ねて山とし、松柏年旧り、。
土石老いて苔滑らかに、岩上の院々扉を閉ぢて物の音聞こえず。崖を巡り、岩を這ひて、仏閣を拝し、佳景寂寞家寞として心澄みゆくのみおぼゆ。
    閑かさや岩にしみ入る蝉の声
芭蕉翁の句をしたためた短冊をこの地に埋めて、石の塚をたてたもので、せみ塚といわれている。
  *立石寺は、りっしゃくじ と呼ぶ。
  (説明板から)
弥陀堂
ながい歳月の風雨が直立した岩をけずり、阿弥陀如来の姿をつくり出した。一丈卯六尺(約四.八メートル)の姿から丈六の阿弥陀ともいい、仏のお姿に見ることができる人には、幸福がおとずれるという。
山寺の岩は、新第三紀中新世の凝灰岩からなっており、自然の景観を土台にして、宗教文化の殿堂が築きあげられている。
  (説明板から)
姥堂(此処から下は地獄、上は極楽の境)