(7)フランス周遊11日間の旅・・・・・H18(2006)年5月30日〜 6月9日 |
(ホームページの制限容量に近づきましたので、写真は大きくなりません) |
老犬Happy君を見送ってやっと海外旅行が出来るようになりました。3年振りになります。今回はフランスを南から北まで周遊する旅を 選びました。その旅で海の中に浮かぶモンサンミッシェルの写真を撮りたかったのです。旅行会社は最近評判の良い日通旅行に申し 込みましたら参加者が20人と丁度団体旅行には良い人数でした。 |
一日目 5月30日(火) 成田→パリ→ニース |
朝5時に起きて、予め頼んでおいたタクシーでYCATに、バスは6:20横浜発 高速道路は意外とすいていて 7:35成田着。そこで初めて添乗員に会いましたが 大柄で馬力のありそうなベテラン女性でした。再集合までに朝食をとったり、ユーロに両替したりしました。ユーロの両替ですが成田空港内にある地方銀行より東京などの 大手都市銀行(三菱、住友など)のほうが有利ですね。それと貨物の制限重量ですがエコノミーの20kgはだんだん厳しくなっており超過すると料金が追加されます。私は事前に 体重計で計り、重いもの(カメラ3台、交換レンズ、湯沸かし器など)は持ち込み手荷物にしました。 |
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飛行機はJALパリ直行便(JL405便) 747-400型飛行機 11:25離陸 これから長い長いシベリア横断です。飛び上がって暫くして おしぼり、飲み物、そして昼食とお決まりのパターンです。後はブラインドを下ろして暗くなり寝る人、TVを見る人それぞれです。そう言えばテレビは以前と違い前の 座席の背もたれに付けられた液晶TVでした。久し振りの海外旅行で興奮して眠れません。ハバロスクから○○km来たとか、上空の気温が○○℃、現地の時間などが 刻々と表示されます。私はあまり信心もないのに弘法大師空海のテレビを何度も見てしまいました。 |
成田空港 |
どうして基点になる都市がハバロスクやペテルブルグの旧ソ連になるのか?不思議と思いながらうとうとしている内に ヨーロッパ時間(日本時間-7H)14:30頃簡単な夕食(パンと飲み物程度)、いよいよヨーロッパが近づいてきました。そして予定より1時間も早く 15:38 パリ シャルルドゴール空港に着陸しました。正味11時間13分でした。風の影響なのか随分早い飛行時間です。モスクワ辺りを過ぎて飛行機は時速1000kmを越えていました。ターミナルの移動で バスに乗りましたが、外の気温は日本と比べて相当低いようです。半そでのシャツでは耐えられません。10℃くらいでしょうか。ニース便は19:30 の予定で3時間以上も待ち時間ができてしまいました。 | ![]() |
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液晶テレビ |
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この空港はさすがフランス、デザインが違います。丸みを帯びガラス張りの屋根と側壁、明るく開放的な空間です。喫茶室に入ったり お店を覗いたりしてぶらぶらしていました。18:40再集合 エールフランスAF7712便ニース行き A321型飛行機 19:57離陸し ニースに21:00着陸しました。9時を過ぎているのにどうしたことかまだ太陽が出ています。空港から地中海沿いの道を通りニースの 中心街にあるホテルに21:30に到着しました。立派なホテルやマンションそしてカジノの看板がかかった宮殿のような建物が見えました。 明日からいよいよ観光の始まりで期待で胸が膨らみます。 |
シャルルドゴール空港Fターミナル |
二日目 5月31日(水) ニース 晴→風雨→晴 |
ニースのホテルは電気のスウイッチや水道のカランなど日本では見られないようなデザインなので 面くらいました。細い棒を回すようなものです。朝6時ころ目が覚めてしまいました。早速海岸道路を散歩しました。 | ![]() |
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ホテルの部屋の窓から | ニース海岸道路で |
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ホテルの部屋は窓から顔を出すと海岸が見えました。スウイートだと海岸道路に面しています。 海岸道路はプロムナード・デ・ザングレと呼ばれ訳すると英国人の散歩道だそうです。その昔気候の悪いイギリスから冬季保養のためこの地に やって来たのだそうです。現在は世界的な大富豪の別荘地です。 南仏の輝くような陽光が降り注ぎ美しい海岸線が眼前に広がります。この道、 と言っても30mくらいの歩道の幅がありますが、散歩する人、ジョギングする人、そして海岸で釣りをする人さまざまです。しかし日本よりえらく寒 く風も強いのです。驚きました。ウールのセータが必要です。 |
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最高級ホテル“ネグレスコ” |
9時に大型バスで観光出発、ニース朝市にちょっと立ち寄り、モナコ方面に。
ニースからモナコにかけ海岸線は山から急に断崖絶壁の海になります。1時間弱くらいでエズ到着。鷲の巣村とは高い崖の上に城壁を作り
敵の侵入を防いだのでまるで鷲の巣のように見えるからそんな名前が付けられています。その頂上まで上りましたが下に見える地中海が
本当に目の覚めるような景色でした。 その村を出てすぐ近くの香水工場を見学しました。この工場はフランスでも有名な会社のようです。 香水ではなく石鹸を買いました。 |
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鷲の巣村エズ |
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またバスは走り、12時ころモナコに到着。モナコは崖が海に沈みこむ斜面にあるような町でした。丁度モナコグランプリが終わったばかりで 観客席を撤去していました。 |
モナコ | 衛兵交代 |
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モナコで昼食をとった後、教会に入りレーニエ大公とグレースケリーの墓に参拝。お花が飾ってありました。 次に王宮に来てそこからの眺めを堪能した後衛兵交代がありました。午後1時に毎日ありますが、イギリスのバッキンガムのことを思い浮かべては全然 違います。ほんの数人が交代するだけです。しかしモナコは世界の富豪が来るところで私のような人間が1時間やそこらいても仕方のない所です。ガイドさん の話では不動産の売買を除き一日のお金の動きが10億円くらいある人が楽しむ街だそうです。 14:30ニースに向け戻り始めたあたりから雨風が強まり荒れ模様 の天候になりました。 | |
教会の墓 |
強い雨の中をバスが走り、モンポロンの丘と言うニースを眺めるスポットに立ち寄ったのですが
遠くに霞んでいるだけです。気温も12℃と寒いこと寒いこと。15:50ニース郊外のシャガール美術館到着。シャガールの絵が数十点展示
されています。宗教画ばかりでちょっと異教徒には正直分かりかねます。 17:10ホテルに戻りました。このころすっかり雨も上がり、近くのスーパに水やその他の買出しに行きました。夕食は町の中心部にある レストランでヴイアベースでした。私にはちょっとオリーブの油が気になりました。 |
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シャガール美術館 |
三日目 6月1日(木) ニース→ヴァンス→アルル 晴 |
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5時半に目が覚めました。また海岸を散歩。今日は画家達の足跡を巡る一日です。バスは8:30出発。ニース郊外の 1000mくらいの山が昨日の雨が新雪になり白くなっていました。 |
新雪が降った山 | 鷲の巣村「サンポール」 |
ニースを出て40分くらいで道路の左手の小高い山の上に鷲の巣村のサンポールが見えてきました。
そこを通過して9:15ヴァンス到着。ここの見晴台からマチスが晩年心血を注いで作り上げたロザリオの礼拝堂が朝日を浴びて光り輝いていました。屋根が青い
建物です。礼拝堂は10時会館で早すぎては入れてくれません。礼拝堂内部は色と光の空間が絶妙と言われています。 次にルノワールが晩年を過ごした カーニュ・シュル・メールに向かいました。 |
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マチスのロザリオ礼拝堂 |
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ルノワールのアトリエ兼住宅は丘の上にオリーブなどの木に囲まれてあります。実際に使用したキャンパスや 椅子などそのまま残っています。その当時ここから海まで見通せたそうです。 |
ルノワールのアトリエ | 庭の樹齢数百年のオリーブの木 |
そこを出て海辺のサンローランで12:50〜14:00昼食。海に各種ヨットが浮かび浜辺ではトップレスの美女が 日光浴をしています。まさに別天地です。しかし風が強く寒くないのか心配になりました。 | ![]() |
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サンローランの海辺 | ヨット |
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大きな畑がどこまでも続く田園地帯を走り続け、16:50アルル到着。アルルはローマ時代の遺跡が残る町であると共に
ゴッホが住んでいた町でもあります。円形闘技場の中に入り上部まで上りましたが、2000年前のものがよく保存されています。他にもローマ劇場跡なども見学
しました。ローマ時代このアルルは重要な植民地だったようです。
徒歩でゴッホがよく入ったと言う喫茶店やゴッホが入院したと言う病院や中心の広場を歩きました。喫茶店では実際に腰を下ろしコーヒを飲んで気分を出しました。 | |
アルル 円形闘技場 |
次にちょっと離れた所にあるゴッホの絵の題材になった跳ね橋の見学です。
これは完全な後世の復元です。 夕方7時ホテル着。夕食もホテルでした。 |
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カフェ・ヴァン・ゴッホ | ゴッホ橋 |
四日目 6月2日(金) アルル→ポンデュガール→アビニヨン→リヨン 晴(風) |
毎日朝早く目が覚めてしまいます。今日も5:30起床。6時からホテルの近くを散歩しました。ホテルはアルルの少し郊外にあり、そばをローヌ川の 支流が流れています。雪解け水で川は幅いっぱい水量があります。今日も晴天ですが吹き飛ばされそうなほど風があります。 |
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7:55ホテルを出発しポンデュガールに8:30到着。2000年前のローマ時代の水道橋が眼前に聳えています。高さが 48mもあります。川まで降りて写真を撮りました。水はとても澄んできれいでした。 |
ローマ水道橋 | 最下層は道路になっています |
9:30橋を出て10:00にアビニオンのローヌ川の淵に到着。ここから対岸に法王庁が、そして左手に歌で有名なアビニヨン橋が近くに 見えます。残念ながら両方とも逆光で写真の写りがよくありません。 | ![]() |
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ローヌ川対岸に聳える法王庁 | 強風のアビニヨン橋の上 |
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1時間くらい法王庁の内部を見学。かって14世紀法王様がヴァチカンではなくこのアヴィニヨンにいらしゃった時代
の宮殿です。68年間、7代の法王がここで即位したそうです。今現在は建物だけで内部はほとんど何もありません。 この後自由時間になり二人でアヴィニヨンの橋 まで行きました。橋が半分しかないのに4ユーロです。橋の上は強風が吹き荒れ今にも飛ばされそうです。家内がしゃがみこんでしまいました。「輪になって踊る」 ことはできません。 ここから戻って町の中心部のレストランで12:30〜13:50ムール貝の昼食でした。とても美味しかった。 |
法王庁 |
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14:00リヨンに向け出発。ローヌ川沿いに北上し、途中休憩を挟んで16:50リヨンのフルビエールの丘に到着。この丘
の展望台から旧市街、ソーヌ川、すぐ下のサンジャン教会など美しい光景が広がります。この丘の中心にはバジリカ聖堂が美しい姿で聳えています。
リヨンはフランス第二の都市で印刷、織物、商業が中心です。リヨンがこけたらフランス全体が危なくなるほど重要な街だそうです。 |
フルビエールの丘からの展望 | バジリカ聖堂 |
丘を降りサンジャン教会や旧市街を歩きました。建物と建物の間を通れる抜け道も歩きました。18:40 リヨン郊外のホテル到着。きょうは長いバスの旅でした。夕食もホテルでした。 | ![]() |
下から見上げたパジリカ聖堂 |
五日目 6月3日(土) リヨン→ブールジュ→ロワール古城→トゥール 晴 |
朝早く目が覚めます。よく晴れていますが気温は低い。今日はロワール古城巡りの予定でバスは出発が7:30。見渡す限りの畑、牧場を通過、畑の作物をよく見ると 麦、じゃがいも、とーもろこしのようです。牧場には白い牛が放牧されています。白い牛は美味しいようで昭和天皇もこちらで食べられたそうです。 途中2回の休憩をはさみ12時過ぎブールジュ到着。12:15〜13:20昼食。 |
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13:40〜14:10ブールジュ大聖堂見学。外観がとても綺麗な寺院で、内部のステンドグラスも素晴らしいものです。一部 戦火や革命で破壊され修復したものもあります。 |
ブールジュ大聖堂 | 聖堂内のステンドグラス |
大聖堂を出てま15:40シャンポール城到着。広大な敷地の中に忽然と姿を現します。まるでおとぎの国にやってきたような錯覚 を覚えるような城です。聞けば裏には王様や貴族の醜い愛憎の物語が秘められているようです。 | ![]() |
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シャンボール城側面 | シャンボール城 |
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次のシュノンソー城に17:40到着。樹木の生い茂った長い誘導路を進むと形のよい城が見えてきます。横から見ると 川に浮かんだようにも見えます。この城の過去も高貴な女性の愛憎の物語が伝えられています。 |
シュノンソー城正面 | 川に浮かぶシュノンソー城 |
シュノンソー城を19:00出発。19:45トゥールのホテルに到着しました。今日は長いバスの旅でした。今日あたりから強風も収まり暖かくなって来ました。 ロワール地方の古城を2箇所見ましたが他にも沢山の城があり中には宿泊できる所もあるようです。夕食もホテルでしたが、牛肉が硬くて困りました。白い牛 だったら良かったのに。 |
六日目 6月4日(日) トゥール→モンサンミッシェル 晴 |
トゥールのホテルが国鉄の駅前にあり夜遅くまで人通りがあって煩いですね。朝も早いので、起きてしまい散歩。駅の構内にも入りました。丁度パリ行きのTCVが 停車していました。 | ![]() |
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トゥールの駅 | ホテルの朝食 |
8:00トゥールのホテル出発。モンサンミッシェルまで約300kmあります。アンジェで途中休憩、オードン川を渡り11:30レンヌ通過。そして12:20頃 遂にモンサンミッシェルの威容が微かに見えてきました。そのまま直行しないで手前のレストランで名物のふわふわオムレツで昼食しました。 |
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遠くのモンサンミッシェル | 近づく | 真下から |
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いよいよこの旅行のハイライトのモンサンミッシェルになりました。13:30〜15:50モンサンミッシェル内部見学。フランス人のガイドさんの英語の説明をこちらの添乗員が 通訳して無線マイクでイヤホンで聞く仕組みです。ここは修道院と言うより堅固な要塞ですね。 |
寺院内部の食堂 | 最上部の回廊 |
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その昔誰もが簡単に近づけなかったため、戦争に行く貴族や騎士達の遺言を預かる目的に使われたと説明していました。 今は陸続きで海の上の寺院ではありません。ただ干満の差が大きい所で道路を除いて水没する時もあるそうです。 |
寺院から下を見る | 通路は観光客で溢れている |
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水面に浮かぶモンサンミッシェル |
今回の旅の目的の一つは海に浮かぶモンサンミッシェルの写真を撮ることだったので、何とかならないかと見渡したら、ちょっと水面が入り組んだところが 見つかったので片足が水に漬かるほど入り込み撮ったのが上の写真です。半分くらい海でしょう。おかげで靴に泥砂がくっつきました。16:00モンサンミッシェル から1kmくらいのホテルに到着。まだ夕食まで時間があったので近くのスーパーで買い物。ここでおみやげのチョコレートを買い込みました。ス−パーの 方が空港やおみやげ屋よりはるかに安く買えます。夕食の後夜景のモンサンミッシェルの写真を撮ろうと見える所までいったのですが、22:30になっても明るく 夜景になりません。眠くなって帰ってきました。宿泊したメルキュールホテルは日本人で溢れていました。 |
七日目 6月5日(月)モンサンミッシェル→オンフルール→エトルタ→ルーアン 霧→晴 |
朝起きてもう一度モンサンミッシェルを見ようと外に出たら、霧に覆われ10m先が霞んでしまっています。8:00霧のモンサンミッシェルをバスが 出発。このノルマンディー地方は土地が他より痩せているようですが、畑が続きます。9:20連合軍の上陸地点のカン通過。途中休憩して10:30オンフルール 到着。 |
オンフルールは印象派の画家たちに描かれた絵のように美しい港町です。港の周りに沢山の店があり、観光客でごった返していました。かってここから アメリカ方面への移民船が出航して行ったようです。 | ![]() |
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オンフルールの港 | 観光客がいっぱい |
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12:10オンフルールを出発。ノルマンディー橋、ルアーブルを通過して午後1時頃エトルタの海岸の手前に到着。 ここで遅い昼食。 |
エトルタ アヴァル断崖 | エトルタ アモン断崖 |
食事が終わって海岸にでると突然視界が広がったような感覚になり、左手に象の鼻のような絶壁、右手に垂直の断崖が現れました。浜辺に出てみると沢山の人 が日光浴を楽しんでいます。夏でも水が冷たく泳ぎには適さないそうです。砂浜ではなく玉砂利が浜で、とても歩きにくい所でした。自由時間があったので、右手 の崖を上り、高い場所からの眺めもまた格別でした。15:50エトルタ出発。 |
17:15ルーアン到着。ローマ時代から栄えた古い町で木造の高い建物が残っていたり、モネが毎日絵を描いた 大聖堂があります。さらにジャンヌダルクの終焉の地でもあります。火刑の場所に教会がありステンドグラスが綺麗でした。 | ![]() |
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ジャンヌダルク火刑の場所 | ジャンヌダルク教会内部 |
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ルーアンの町を徒歩観光。大時計は修理中でテントの中。大聖堂の正面も修理中、さらに内部も閉鎖中で見られません。
モネがこの大聖堂の前の旅籠に泊まって絵を描いたそうです。その旅籠が今も残っていました。 19:00ルーアン郊外のホテル到着。19:30〜20:40ホテルで夕食。鴨料理でした。参考までにレストランやホテルの食事は下の写真のものが一般的でした。 デザートは大きくて甘いものが出ます。したがって旅行から帰ると体重が増えています。 |
ノートルダム大聖堂側面 | 正面 |
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前菜(テリーヌ) | 肉料理(鴨) | デザート |
八日目 6月6日(火) ルーアン→ジヴェルニー→オワーズ→パリ 晴 |
8:00ルーアンのホテル出発。セーヌ川の側を走って8:50ジヴェルニー到着。ここにモネのアトリエと あの有名な睡蓮の庭があります。 | ![]() |
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モネのアトリエ側の庭 | 睡蓮の池 |
アトリエ側の庭にはアイリスやバラやしゃくなげその他の花が沢山咲いていました。アトリエ兼住宅だった家は当時の姿のまま 公開されています。日本の浮世絵に魅せられたモネの数多くのコレクションが展示してありました。道路を挟んで反対側に睡蓮の池のある 庭があります。まだ咲いてはいませんがつぼみが膨らんでいました。太鼓橋をちゃんと歩いて来ました。9時に入場した時には他の人は誰も いなかったのに出る頃には人で溢れていました。日本人ばかりに人気があるのかと思っていましたが欧米人にも大変な人気です。駐車場は大型バスで一杯でした。 |
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11:00ジヴェルニーを出発11:50今度はゴッホのゆかりの地オーヴェル・シュル・オワーズに到着。
城を改装したようなレストランで昼食。写真のエスカルゴでした。初めて食べましたが、昔食糧難の時食べた「タニシ」と同じでした。 |
エスカルゴ |
13:30〜14:20オーヴェル・シュル・オワーズを徒歩で観光しました。ゴッホの家、描いた教会や麦畑、最後にゴッホ兄弟 のお墓に行きました。描いた場所にその絵の看板が置かれています。 | ![]() |
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ゴッホの描いた教会の看板 | 今現在の教会 |
絵が売れなく弟の世話になっていたゴッホが将来を悲観しピストル自殺をした場所だけに、お墓の前で
こちらも悲しくなりぐっと涙を堪えました。 14:25パリに向けて出発。途中休憩を挟み、パリ市内はかなり渋滞していましたが 16:10宿泊場所のホテルに到着。ホテルはオペラ座近くの繁華街にある「アンバサドール・コンコルド」です。 |
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今日の夕食はエッフェル塔の中二階で食べます。エッフェル塔をすぐそばで見ると重厚な設計ですね。 エッフェルは橋梁の設計が専門だったそうです。ここまで梁を沢山入れなければならなかったのか?コンピュータ時代の前の設計ですからこうなったのか。姉歯氏だったらどうしたか 想像するだけでも楽しくなります。極めてシンプルな構造設計の東京タワーとは大違いです。9時を過ぎても昼間と同じ明るさで夜景を見る状態にはなりません。 帰りのバスはシャンゼリゼイを通り明日あさっての個人行動ための有名な店のある場所を教えながらホテルに戻りました。なおエッフェル塔の中二階までのエレベータ料金は4.2ユーロです。 |
エッフェル塔の真下から上を見る |
九日目 6月7日(水) パリ 晴 |
パリの朝を迎えました。この旅行中毎日朝早く目が覚めます。でも少し疲れが出てきたのか今日は6:30に起きました。7:10〜7:40朝食。 今日は午前中がオルセイ美術館の見学で、その後中華の昼食をして自由行動になります。なおオプションで午後ベルサイユ宮殿の観光がありますが 何回も行ってもしょうがないので自分でパリを回ることにしました。8:30バスが来てオルセイ美術館に。 |
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オルセイ美術館 | 内部 | モネの太鼓橋の絵 |
以前一度来たことがありますので少し覚えていました。モネ、ゴッホ、ルノアールと今回の旅でその足跡にほんの少し触れた画家達の絵を特に 興味深く見ました。見学後中華料理で昼食、久し振りの味でした。 |
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昼食の後一旦ホテルに戻り荷物を置き、カメラだけの身軽な格好で二人で自由行動に出ました。
オペラ座→ヴァンドーム広場→ホテル「ロティ」→チュルリー公園→オランジェリー美術館→アレクサンドルV世橋→
バトームッシュ乗り場→舟遊び→アルマ広場→地下鉄を乗り継いでホテル。 セーヌ川の川から見るパリもまた陸上とは 違った味わいでした。新しいオランジェリー美術館は大混雑で入れません。 |
バトー・ムッシュ(舟遊び) | 船からのエッフェル塔 |
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船の甲板席は遮るものが無く暑いけど、全員が上の甲板席に座っています。日本人は私たちだけでアメリカ人 が多かったようです。自由の女神の1/10模型の所で狂喜乱舞していました。ここで船は折り返し出発地点に戻ります。船を下りたところの近くに 例のダイアナ妃の事故現場があり野次馬根性で写真を撮りました。疲れてきたのでカフェでお茶、地下鉄を乗り換えてホテルに帰りました。 |
シテ島のノートルダム寺院 | 自由の女神 |
十日目 6月8日(木) パリ→ローマ→ 晴 |
いよいよ旅行日も最終になりました。帰りの飛行機の関係で午後2時ころまで自由時間になりました。 二人でまた地下鉄の路線図を片手にまずノートルダム寺院に行きました。 前回パリに来たときは正面が工事中だったので正面の綺麗な写真が無かったためです。世界各地からの観光客で溢れていました。今回は 塔の上に上るつもりで探したら、外に行列がありそこに付いていたのですがいくら待っても列が進まないので上るのを諦めました。いつ来てもバラ窓が とても綺麗でした。ここを出てすぐ近くのステンドグラスで有名なサント・シャペル教会に行きました。 | ![]() |
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ノートルダム寺院正面 | バラ窓 |
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ここは裁判所など公共の重要な場所の敷地内にあり、厳重な手荷物検査がありました。薄暗かったので写真では 分かりませんが素晴らしいステンドグラスでした。 |
サント・シャペル教会 |
サント・シャペル教会を出て今度はリュクサンプール公園に歩いて行きました。道の方角を間違えたようでなかなか着きません。通行人に 聞いてようやくたどり着きました。公園のベンチに座って暫く休憩、木々や芝生、花々がとても綺麗でした。 |
ホテルで荷物を12時に出さなければならないので地下鉄に乗って戻りました。荷物を出し最後の昼食を近くの「大阪すし」でお寿司を食べました。中国人のやっている
すし屋で少し変な感じもしましたが味噌汁が出たのでほっとしました。まだ出発の2時まで時間があるので、近くにある三越に行き最後の買い物
をして締めくくりました。 パリは放射状の道が多く一本道を間違えただけでもとんでもない所に出ますので、右の写真のオペラ座はこのあたりを歩くときの目印でした。 |
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オペラ座 |
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ドゴール空港 | コンコルド | アルプス上空 |
14:10ホテル出発しシャルル・ドゴール空港に。道路が混んでいて結構時間がかかりました。空港で免税手続きした後解散し、17:00再集合。
お茶をしたり、店を回ったり各自思い思いに行動し時間待ちです。 今回の帰国は パリ→ローマ→成田 になってしまいました。アリタリア航空AZ-325便 17:57パリ離陸 MD−80型機、18:20飲み物と軽食 眼下に雪に覆われたアルプス山々が見えました。19:30ローマ着。 |
十一日目 6月9日(金) ローマ→成田 晴 |
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ローマでの待ち時間は無くすぐ乗り継ぎました。ローマ発JL−400便。747-400ジャンボジェット、21:35(日本時間 6/9午前4:35)離陸。
23:30夕食 また長いシベリア横断です。テレビを見ようと番組表を見たらこちらに来るときと全く同じでした。
日本時間16:02成田着陸。ローマから11時間27分の飛行時間でした。成田からバスでYCATまで来てタクシーで自宅に午後7時ころ
無事戻ってきました。天候にも恵まれ久し振りの楽しいヨーロッパの旅でした。 「完」 |
ローマ空港 |
旅の感想 |
久し振りのヨーロッパ、暫く海外に行っていないと面食らうこともありました。成田で入出国カード がないとか、成田の第一エアターミナルが改装されたとか、変化がありました。燃料代の高騰による追加料金も驚きです。さらにエコノミークラス の荷物の20kgの制限が厳しくなっています。 |
日本円からユーロの両替は東京の大手銀行で変えて行った方がよさそうです。成田やパリの空港では不利 なようです。なおパリのオペラ座近くに東京と同じくらいのレートの両替所がありました。フランスの地方都市では両替困難だそうです。 |
パリ行きの日航ジャンボは2階席のエコノミーになりました。通路を挟んで3席+3席で、小さな飛行機に乗ったような こじんまりとして以外と良かったです。 |
シャルルドゴール空港のセキュリテー対策はかなり厳しいものがあります。ズボンのベルトは外され どんな小さな金属を身に帯びていてもブザーが鳴ります。腕時計でもだめです。鳴った場合徹底的な身体検査が始まります。手荷物についても 同様です。念のため水虫の薬を入れておいたのですが、係りの人が気が付きあわてて手を離しておりました。 |
この時期寒いのには面食らいました。ウールのセータが必要です。日本と大違いでした。雨は旅行中ニースで2時間ばかり 降っただけで後は晴天ばかりでした。そのニースの雨が近くの1000mの山で積雪になり白くなっていました。こんなことは聞いたことが無いと現地のガイドさんが 言っておりました。しかも強風には驚きました。同じ時期ドイツに旅行した知り合いによれば雨ばかりで相当寒かったようです。 |
ニース市内は市内電車を通すため市内の幹線道路のいたるところで掘り返していて交通渋滞が 生じています。無公害の乗り物と言うことで復活させているようです。 |
6月初めのパリは最高気温は晴れていれば20℃を越え暑いくらいですが、朝は10℃をちょっと上回る程度で 半そででは寒いくらいです。したがって街をあるいている人は革ジャンからTシャツまでいます。 |
日本へのお土産などに美味しいチーズを買った人が沢山いましたが、この時期のパリの気温では 持ちません。あまりの匂いで、すべて捨てたそうです。 |
クレジットカードによる買い物で暗証番号を聞かれるのには困りました。適当に入力したら 当たっていたので助かりましたが。ICタグが埋め込まれたカードでは暗証番号が必要だそうです。 |
南仏の海は心が洗われるほど美しいです。定年後の生活をここでエンジョイしたいと思いますが ニースやモナコに滞在できるのは世界的大金持ちだけだそうです。マンション一室が10億円です。ジャンボ宝くじが一回当たっても 無理なのです。 |
今回の旅で著名な画家たちの実像にほんの少し触れることができました。シャガール、ルノワール、モネ、 ゴッホ、マチスです。ほとんど当時のままの姿でアトリエや住宅や庭が残されています。特にモネの庭は日本人にとっては親しみ深いですね。 |
パリのオランジェリー美術館が新装されぜひ見に行こうと最初から考えていたのに、実際行ってみると長い長い行列でした。 しかも午前中は予約された団体さんのみです。2時間くらい待てば入れたのですがそれだけが目的ではないので諦めました。 |
スペインやイギリスにもありますがフランスにもローマ時代の遺跡が各所に残っています。 水道橋やアレーナなどの石の巨大な建造物を2000年も前によく作ったものだと関心します。今作ったらすぐ倒壊するのでは ないかと思います。 |
フランスは立派な宮殿と荘厳な寺院の両方があります。イタリアは豪華な寺院が中心、スペインは宮殿よりも寺院の 方が立派、イギリスも両方ありますがどちらも質素です。フランスの国民は王様と教会の両方から搾取されたのでしょうか?しかしバスから見た印象ですが どこまでも続く豊かな農地、牧場、山には木が生い茂り国力の大きさが他の国とは比較にならないほど大きいと思いました。 |
教会のステンドグラスがどの寺院も素晴らしい。ノートルダム寺院だけかと思っていましたがとんでもありません。ステンドグラス を上手に写真に撮るには三脚が欲しくなりますね。息を止めてシャッターを押しても半分はブレてしまいます。 |
フランス各地にノートルダム寺院があるのは不思議だったのですが、イタリアなどの「サンタマリア・・・教会」と同じ 意味でした。要はカトリックでマリアさんも信仰の対象なのでしょうか?間違えていたらごめんなさい。 |
ロワールの古城を2ヵ所めぐりました。すごい広さの敷地に格好良い城、まるで御伽噺に出てくる光景です。数百箇所も あり宿泊可能な城もあるようです。どの城もかっては高貴な方々の愛憎と喜怒哀楽の舞台だったようです。 |
モンサンミッシェルの海に浮かんだ写真を撮るのが今回の旅行の目的の一つでした。しかし取り付け道路を作ったため 海流の流れが変わり土砂が堆積してもう陸続きと同じになっています。やむ得ず海に片足を入れて撮りました。帰って新聞をみたら道路を橋に変えて海流 の流れを元に戻す工事をするそうです。 |
オンフルールやエトルタなど北西の海岸地帯もいいところです。絵の題材になった訳がわかりました。エトルタの断崖は 沖縄にも似た所がありますね。 |
10年前パリに来た時宿泊した三ツ星ホテルの「ロティ」を自由時間に尋ねました。昔と変わらぬ姿で ありました。ロビーで写真を撮り帰ってから比較してみたらなんの変化もありません。今回のパリの宿泊も三ツ星の「アンバサドール・コンコルド」 、オペラ座の近くの繁華街でとても便利な所でした。 |
パリの地下鉄は相変わらず乗りやすいです。日本みたいに電車によって行き先が変わらないのが分かり易い 理由です。今回スリは見かけませんでした。急発進するのでふらついたら座っている若い黒人男性から席を譲られました。 |
宿泊したホテルなどからモンマルトル方面がよく見えるのですが、アラブ人に占拠され危なくて近づけない そうです。いいところだったのに残念。 |
帰って写真を見ると、日差しが強いので逆光とそうではないのとの差が極めて大きいですね。もっと注意が必要 でした。フォトショップでも補正が出来ません。 |
この旅の参加者の中に私ども夫婦を含めて3組の北陸出身者がいました。なまりと言うかアクセントがとても安心して聞ける 感じがしました。面白いことに、団体旅行ですから必ず行列を付かねばならない時がありますが、この3組がいつもしんがりでした。たまには頑張ろうと先に 行ったつもりでも後ろを見ると2組の北陸組でした。北陸育ちには他人を押しのけてでも前に出ることを嫌い絶えず他人の目を気にして遠慮する傾向が強いのです。 |
旅の最後は三越での買い物で終わりました。またいつの日か花の都パリに行きたいと思います。
完 |