(2)イタリア10日間の旅・・・H9(1997)年7月25日(金)〜8月3日(日) |
二回目のヨーロッパ旅行は去年同様真夏を選びました。真夏が良い理由は日が長く遅くまで明るいため一日が有効に使えるためです。今回はイタリア一カ国を10日間で回る旅です。昨年と同じ阪急のゴールドのツアーにして空港で添乗員に会ったところ、何と去年と同じ人でびっくりするやら懐かしいやら世間は狭いと感じました。 |
一日目 7月25日 羽田→関空→ミラノ |
イタリアへの飛行機は関空発となり羽田が出発地点となりました。横浜から羽田は近いのでタクシーで行き朝早い集合時間にセーフ。JALのカウンタで参加者が16名と分かり、丁度多からず少なからずと今回もいい旅になりそうな予感がしました。 JAL-113便8:00→9:00関空着。関空は初めてでしたが広くて立派です。しかし飛行機は徳島の先くらいまで行ってから戻るように着陸しているようでけっこう時間がかかります。関空で2時間待ち、JL-429便関空発→ミラノ→ローマ行き。12時に離陸し日本海に出て佐渡島上空を経、後は去年同様長い長いシベリアを横断、17時にミラノ着陸、正味12時間の飛行でした。 |
二日目 7月26日 ミラノ 晴 |
(青枠の写真はクリックすれば大きくなります) |
今日からイタリアの旅の始まりです。最初ダヴィンチの「最後の晩餐」の絵を見るため朝早くにホテルを出てサンタマリア・テレ・グラッツィエ教会に行きました。 | ![]() |
![]() |
![]() |
グラッツィエ教会 | 最後の晩餐 | スカラ座 |
8:20に着いたのですがもう日本人ばかり50人くらい並んでいました。しばらく中庭など見学して時間調整した後いよいよ入場。幅が10m以上もある大きな絵です。1490年代の製作なので色あせてはいますがキリストを中心に見事に遠近法で描かれています。丁度修復中でした。 次にスフォルツエスコ城でミケランジェロの最後の作品「未完のピエタ」を見た後イタリアオペラの殿堂スカラ座をを横目で見てエマヌエーレU世アーケードに来ました。有名ブテックが軒を連ねているようですが私には分かりません。家内が喜々として目を輝かせていました。 |
![]() |
![]() |
![]() |
午前中の最後はドゥオモの見学です。正面から見ると圧倒的な迫力です。残念なことに大逆光で写真になりません。仕方がないので背面からも撮りました。 |
アーケード | ドゥオモ(正面) | ドゥオモ(背面) |
下から上を見ると、沢山の尖塔の上にそれぞれ聖人が立っています。キリスト教の伝道に貢献があった人達なのでしょう。 内部も見学しましたが外見と違い,わりと質素でした。ステンドグラスは聖書を読めない昔の人のため絵にしたのだそうです。 |
![]() |
![]() |
ドゥオモ(内部) | ステンドグラス |
![]() |
![]() |
![]() |
午後ミラノの北にあるコモ湖に行きました。 |
コモ湖 | 別荘 |
世界的な別荘地で有名俳優や著名な政治家のものが点在しているようです。ソフィアローレンやチャーチルの別荘があったそうです。ボートで一周しましたが青い空に清清しい空気まさに別天地だと感じました。 |
こんな別荘地にも立派な大聖堂があり内部も見学ました。 | ![]() |
![]() |
大聖堂 | 聖堂内部 |
最初の夕食はスパゲテイから始まるイタリア料理をたらふく食べて夜21時にホテルに帰りました。ホテルはミラノで一番背の高い「センチュリータワー」で割と部屋も広く機能的でした。 |
三日目 7月27日 ミラノ→ベローナ→ヴェネツィア 晴 |
![]() |
![]() |
![]() |
ホテルをバスで8:40出発、高速道路を一路ベローナに向かいました。途中一回休憩して11:00に到着。 |
ベローナ | ヴェッキオ城 | 古代遺跡 |
バスはアーディジェ川の横を通りカステルヴェッキオ城を車窓から見ながら、ベローナが全体見渡せるサンピエトルの丘に着きました。この街は中世の面影をよく残しているのだそうです。街の中には古代ローマ時代の遺跡が地下から顔をだしています。 |
円形劇場のアレーナが今でもコンコンサートに使われていてびっくりしました。市内は徒歩で観光し、エルベ広場、ダンテ広場やロミオとジュリエットの館跡も見学しました。 | ![]() |
![]() |
![]() |
アレーナ | ロミオの家 | ランベルテの塔 |
市庁舎の横のランベルテの塔(地上80m)に旧式のエレベータで上り市内を見渡すと教会ばかりが目立ちます。現地ガイドさんに質問しました。「こんなに教会ばかりあって経済的にやっていけるのか」と。Ans.「大丈夫」と。 14:25ベローナを出発しヴェネツアに16:00に着きました。 |
![]() |
![]() |
まだ時間が早いので明日の正式見学の前に水上バスに乗りサンマルコ広場まで行って来ました。 |
スカルツィ橋 | リアルト橋 |
水上バスは大運河をスカルツィ橋→リアルト橋→アカデミア橋→サルーテ教会→サンマルコ広場の順に進みます。その橋の下から見える教会や古い建物すべてが絵になります。サンマルコ広場には夕方なのに沢山の観光客がまだ残っていました。 | ![]() |
![]() |
アカデミア橋 | サルーテ教会 |
帰りは添乗員さんと一緒に歩いて帰って来ました。ヴェネツアは慣れないと迷路のようで歩けないそうです。なおヴェネツアの中は車と名前がつくものは自転車と言えども乗り入れ禁止だそうです。移動は舟または徒歩です。 |
![]() |
![]() |
![]() |
18:50から30分余ゴンドラセレナードと題してゴンドラに乗りました。 |
ゴンドラセレナード |
狭い運河で大きな声で歌われると周りの建物から見られているようで恥ずかしい思いをしました。船頭さんは慣れたもので背の低い橋げたを巧みに潜り抜けます。大運河はエンジン付きの舟が多いので脇の細い運河をおもに通っているようです。 |
四日目 7月28日 ヴェネツィア→フィレンツェ 晴 |
旅行した時よく食べ物の写真を撮ります。後で見るととても面白いものです。あまり取り過ぎて食べきれなくならないよう いつも家内に監視されています。ハム、ソーセイジ、ベーコン、野菜、果物とジュースにコーヒをいつも食べます。 | ![]() |
ホテルの朝食 |
![]() |
![]() |
![]() |
昨日に引き続きあらためてサンマルコ広場に行きました。 |
船着場 | ため息の橋 | サンジョルジョ島 |
最初はドゥカーレ宮の内部見学でした。入り口ですぐ鎧兜が展示してあり、その昔アイバンホーやダルタニアンが着けていた物と同じかと想像して楽しく見て回りました。肝心な宮殿の方は写真不可で残っていませんが、昔の栄華と血なまぐさい権力闘争の歴史を物語っているように感じました。 ため息の橋は政治犯が右側の牢屋に入れられるとき通った橋だそうです。サンジョルジョ島は大運河の先端からすぐのところにありかってヴェネツィアサミットが開かれたところです。 |
引き続き隣のサンマルコ寺院に入りました。聖マルコを奉る寺院で外観は他の教会とは全く違い、イスラムと間違えそうですが東洋と西洋のミックスしたものだそうです。ヴェネツィアの栄華のシンボルそのものだそうです。 | ![]() |
![]() |
![]() |
サンマルコ寺院 | 大鐘楼 | フローリアン |
内部薄暗いが厳粛そのものです。よほどの由緒正しき教会なのか、熱狂的キリスト教徒で溢れていたと言う印象です。横の大鐘楼は高さが100m近くもあり、上りたかったのですが工事中なのに加えて長い行列だったので止めて、カフェフローリアンに入りました。生演奏をしており映画「旅情」の気分を味わいました。でも二人でジュース二杯が日本円で2300円もしまた。 |
![]() |
その後ヴェネチアンガラスの工房を見学して高い買物をしてしまいました。 |
サンマルコ広場 |
イカ墨の昼食をした後、バスはヴェネツィアを14:25出発し一路フィレンツェに向かいミケランジェロの丘に18:00に着きました。ここからフィレンツェ全体がよく展望でき、アルノ川やドゥオモがよく見渡されました。 フィレンツエのホテルは「フローレンス」でした。部屋の壁紙が濃いピンクなのにはびっくりしましたが、それより家内が洗面所で洗濯を始めたら排水が溢れて逆流してきたのには仰天しました。風呂とトイレと洗面所の3箇所同時の排水は厳禁です。 |
五日目 7月29日 フィレンツェ→ピサ→フィレンツェ 晴 |
朝早く目が覚めてしまうので毎日散歩しています。今日もホテルの周囲を歩き、ホテル「フローレンス」は駅の近くと言うことが分かりました。 |
本日は世界的に有名なウフィッツィ美術館の見学です。遅く行くと順番待ちになるので7:20にホテルを出て急ぎ足でシニョーリア広場に向かいました。7:40に着いたのですが30m位の行列になっていました。内日本人が約80%くらいでしょうか。 | ![]() |
![]() |
![]() |
急ぎ足 | シニョーリア広場 | 美術館入り口 |
シニョーリア広場にはミケランジェロなどの大きな彫刻(複製)が展示してあります。本物は美術館にあるそうです。 |
![]() |
![]() |
![]() |
1時間余行列した後9:00に入れました。ポッティチェリの「ヴィーナスの誕生」と「春」が最大の人気絵画で黒山の人だかりでした。 |
春 | ヴィーナスの誕生 | 聖母マドンナ |
写真撮影はNo-FlashでOKですが薄暗いのでこの程度しか撮れません。しかしもう大分退色しているようで美術雑誌で見るような色鮮やかさではありません。ラファエロ、ミケランジェロ、ダヴィンチ、ジョット、ティツィアーノなど著名な画家の絵画が目白押しでした。 続いてドゥオモの見学です。フィレンツェのドゥオモは色大理石を用いたその色合いと形の良さに特徴があります。横にあるジョットの鐘楼も同様です。 |
![]() |
![]() |
![]() |
![]() |
ドゥオモ | 鐘楼 | ドゥオモ天井 | ドゥオモ側面 |
クゥポラの高さは114mだそうです。これらは14世紀に出来たものです。この時代これだけの建築技術があったのは脅威だと思います。ここの広場はミラノと違い狭いので後ろに下がれずドゥオモの全景写真は困難です。塔の上まで上りたかったのですが、近くのお土産屋に連れて行かれて行けなかったのは返す返すも残念でした。昼食はイタリア料理が鼻についていた頃を見計らった中華料理で美味しく頂きました。 |
![]() |
![]() |
![]() |
![]() |
午後はオプションでピサに行きました。フィレンツェを13:20に出て畑の続く道を走り14:40ピサに到着しました。 |
ドゥオモ | 斜塔 | 洗礼堂 | ドゥオモ内部 |
広い芝生の広場にドゥオモ、斜塔と洗礼堂の三つの建物が建っています。ピサと言えばガリレオの斜塔しか連想しませんが、ドゥオモも立派です。内部の写真も見て下さい。斜塔は倒れるのじゃないかと思うほど傾いています。傾斜の反対側に沢山の錘が置いてありましたがその効果?地盤が弱いらしくドゥオモと洗礼堂も少し傾いているそうです。石造りの建物は外の暑さを忘れるほど涼しかったです。 夕方フィレンツェに戻り夕食に行こうと道路を歩いていると子供のスリに危なく全財産を取られそうになりましたが撃退して無事でした。駅の近くでは若者のスリと渡り合っている男性も見ました。フィレンツェはスリの多発地帯のようです。 |
六日目 7月30日 フィレンツェ→アッシジ→ローマ 晴 |
フィレンツェを8:00出発してアッシジに向かう。途中ひまわり畑や牧草地が続く広々とした平原を走りぬけ、イタリア最大の湖トラジメノ湖の横を通って11:00アッシジの丘の下のサンタマリア,デーリ,アンジェリ大聖堂に着きました。 |
![]() |
![]() |
アッシジ近辺の教会はすべて聖フランチェスコ(1181〜1226年)に纏わるものがほとんどのようです。イタリアの教会の名前が長いので省略しますがこのアンジェリ大聖堂も同様で教会内部に聖フランチェスコが最初にこの地で開いた小さな教会小屋がありました。 |
アンジェリ大聖堂 | 聖堂内部 |
この教会の周りはぶどう畑になっていますが、ここからのアッシジの丘はとても良い眺めでした。中腹にサンフランチェスコ大聖堂や山の上の要塞がよく見えました。しかしこんな聖地なのにお土産やがテントを連ねていました。 |
![]() |
アッシジの丘を望む |
![]() |
![]() |
![]() |
丘の上までバスで上り、後は徒歩観光です。小さな町ですが大聖堂以外にもフランチェスコを信奉したキアーラの教会やローマ時代の神殿を利用した教会まであります。 |
ミネルバ神殿 | キアーラ教会 | コムーネ広場 |
途中休憩したコムーネ広場のベンチは高台なので涼しい風が心地よく感じました。そしてサンフランチェスコ大聖堂に入りました。内部の案内は日本人神父さんでしたのでよく理解できました。この教会は13世紀に建てられ上下2層構造になっており、内部にはフランチェスコの布教活動を描いたジョット作のフレスコ画がぎっしり飾られています。 |
ここは沢山の観光客とキリスト教徒でいっぱいでした。なお聖堂出口のPAXとは「平和」と言う意味です。内部は写真撮影禁止。フレスコ画も傷みがひどく修復中でした。 | ![]() |
![]() |
フランチェスコ大聖堂 | 聖堂出口 |
アッシジの観光を終わり15:10出発、18:00ローマのホテルに到着しました。ホテルはスペイン階段の近くのグランドホテルプラザです。創業1860年の古いホテルでしたが、ロビーは宮殿のように立派でした。部屋の方はまあまあと言う感じです。ローマの中心部なので何処に行くにも便利そうです。 |
七日目 7月31日 ローマ 晴 |
今日の午前中はローマ市内見学です。まず朝早めにホテルをバスで出てバチカンに向かい、8:10に行列に着く。もう長い列でした。ここは8:30から団体から入場するようです。 |
![]() |
![]() |
螺旋階段を上ってヴァチカン博物館側の庭に出て時間待ち写真タイム。ここからも大聖堂のドームがひときわ聳えているのが見えます。入館する前に看板を使ってシステーナ礼拝堂の説明を受けます。 |
ヴァチカン中庭(1) | 中庭(2) |
入場するとまずギャラリーと呼ばれる回廊を通ります。側面には地図やタペストリーなどの見事な美術品が多数展示され、天井が金色に輝いている通路を進むと、システーナ礼拝堂に着きます。 | ![]() |
![]() |
ギャラリー | クーポラ |
ヴァチカンの最高の見所であるミケランジェロの巨大な「天井画」と「最後の審判」の絵が見るものを圧倒します。ここに入った人すべてがただ静かにじっと見入っている様子でした。しかし聖書を十分知っている人でなければ本当に理解は出来ないと思いました。一応私はヨーロッパ旅行の前にキリスト教の本一冊を読んできたのですが、この程度ではとても意味は分かりません。写真撮影は勿論禁止です。そんな不埒な雰囲気ではありません。 正面側に回りサンピエトロ大聖堂に入りました。 |
![]() |
![]() |
ヴァチカンは言うまでもなくカトリックの総本山で世界最大の規模と豪華さを誇ります。 |
サンピエトロ大聖堂 | サンピエトロ広場 |
広場を囲む大柱廊の上に聖人達が並んでいました。入ってすぐ右にミケランジェロ作のピエタ像が防弾ガラスに覆われて鎮座しています。ピエタとはマリアさんが亡くなったキリストを抱きかかえている像のことです。防弾ガラスで防衛されているのは、偶像崇拝を否定するイスラム教徒にかって破壊されかかったことによるそうです。 | ![]() |
![]() |
ピエタ | サンピエトロ |
もう少し前に行くと真っ黒なサンピエトロの像があり、足に触ると御利益があると言われ順番に撫でました。サンピエトロは349年にこの地で逆さ磔にされたと言います。 |
![]() |
![]() |
![]() |
なお現在の大聖堂は再建修復を繰り返し1626年に完成したものです。次にコロセオに行きました。ローマを走ると至る所に遺跡だらけと言う感じです。ひどいのは遺跡を利用した建物まであります。 |
大聖堂内部 | 大聖堂天井 | 祭壇 |
コロセオは古代ローマの円形競技場でBC70年〜AD80年の建築。 | ![]() |
![]() |
![]() |
コロセオ | コロセオ内部 | 凱旋門 |
直径188m、高さ57mの4階建てで5万人収容できたと言われています。現在見えている内部は地下部分でライオンなどを入れておく檻です。この上に床があり人間(奴隷)と戦わせたのだそうです。コロセオの横に立派な凱旋門がありますがコンスタンティヌス帝の勝利を記念したものです。 |
![]() |
![]() |
![]() |
トレヴィの泉はポーリ宮殿の壁面の前に作られたものでローマで最も大きいそうです。後ろ向きにコインを投げれば再びローマに戻ってこれると言う。1730年完成です。 |
トレヴィの泉全景 | トレヴィの泉 |
ここは何と言っても映画「ローマの休日」でヘップバーンが演じたところですから世界中の観光客で溢れています。私もコインを投げ入れましたが現在のところ御利益はありません。 |
午後自由行動になりホテルから徒歩で出かけました。まずすぐ傍のスペイン階段です。かんかん照りで階段は暑くて誰もいません。向かいのコンドッティ通りは黒山の人だかりです。ここは有名ブテックが軒を連ねているそうですが入りませんでした。 | ![]() |
![]() |
スペイン階段 | コンドッティ通り |
>![]() |
![]() |
![]() |
続いて地図を頼りにパンテオンに来ました。内部は円形ドームで上部の空いた空間から光が差し込み荘厳な雰囲気です。 |
パンテオン | 真実の口 | カラカラ浴場 |
その後また隣にあるミネルバ教会に入りフレスコ画を見て、さらに歩き続け、ヴェネツィア広場を通って真実の口があるコスメディアン教会にやって来ました。ご多分にもれず口に手を入れ記念撮影しました。20〜30人の行列でした。 ここで引き返せばよかったのにまた歩き続け、遂にカラカラ浴場までたどり着きました。カラカラ浴場は原型をよく留めていませんが巨大な建造物の塊で大きすぎて全体の写真は撮れません。帰りは元来た道を引き返しましたが往復6〜7kmくらいでしょうか。足がそれこそ棒になりました。 |
夕食はカンツオーネを聞きながら楽しく頂きました。何だか日本人の団体さんばかりで外国に来たのか変な気持ちになりましたが。しかし歌は上手でした。ここで面白かったのは、お客さんから貰ったチップの小額紙幣の札を歌手が見えるように手に持って歌っているのですが、一番上の札は高額紙幣でした。騙されてはいけません。 | ![]() |
カンツオーネの夕食 |
八日目 8月1日 ローマ→ナポリ→ローマ 薄曇 |
今日は一日ポンペイ、ナポリの観光です。ローマのホテルを朝7:15に出発してムッソリニーの作った「太陽道路」と呼ばれる高速を一路南下、10:15にポンペイに着きました。 |
![]() |
![]() |
![]() |
ポンペイの遺跡は0079年にヴェスビオス火山の噴火で埋まったものが2000年近く経た今日蘇ったことで有名な遺跡です。 |
太陽道路 | ポンペイ遺跡入り口 | 全景 |
![]() |
![]() |
![]() |
神殿や浴場や貴族の家が当時のまま残されています。屋根はありませんが。 |
ティペリオの門 | 石畳道路 | かまど跡 |
石畳の道路が縦横に整備され馬車の轍の跡まで残っています。道路と家の境には水道管まで設置してあります。水は屋根からの雨どいで蓄えたようです。しっかり雨どいが残っていました。さらにかまどやパン焼きオーブンもあります。貴族の館の壁には絵まで描かれ、中庭があって池や花壇があったようです。石造りのベッドもありましたが長さからして当時の人は身長が高くなかったようです。 |
ポンペイで昼食をとりナポリに向かう。バスがナポリ市内に入ると車窓から古城やアーケード街が見えましたが、治安が悪くバスから降ろして貰えません。 | ![]() |
![]() |
ナポリの古城 | ナポリ湾 |
高台からナポリ湾を見下ろすとバックにヴェスビオス火山が霞んで見えました。それにしてもポンペイやナポリは暑くて堪らないところでありました。 |
![]() |
![]() |
![]() |
ローマに戻る途中カメオ工房に立ち寄りました。高速道路沿いにカメオ工房があり見学?買い物させられました。家内はペンダントと指輪を買ってご満悦でした。感心したのは職人の手です。手は大きい上「たこ」だらけでした。 |
展示即売 | カメオ工房 | 職人の手 |
ローマに戻って、屋外レストランでツアー参加者全員のお別れ夕食会をし、楽しかった旅を振り返り和気藹々とした時間を過ごしました。 |
九日目 8月2日 ローマ→ミラノ→ 薄曇 |
遂に最終日になりました。朝ホテルの周辺のコルソ通り、コンドッティ通り、スペイン階段当りを散策しました。8:15ホテル出発ダヴィンチ空港9:00到着。ローマからミラノは国内線扱いのJALで11:35→12:25ミラノ着。ミラノのマルテンサ空港でしばらく時間待ち。14:35ミラノ発 JAL-410便 満席。長い長い空の旅でした。昨年のパリ発だと出発当日は夕方出るからほとんど一日時間を有効に使えるのにイタリア発はそうはいかないようです。 |
10日目 8月3日 →成田 |
11:10成田着陸。ミラノから11時間10分の所要時間でした。午後横浜の自宅に帰ってきました。古代遺跡と教会にどっぷりつかった素晴らしいイタリア旅行でした。 完 |
旅の感想 |
今回のイタリア行きは成田ではなく、関空発になった。こんなこともあるのです。おかげで飛行機は ガラガラ。横浜から羽田は近いのでまるで国内旅行する感じ。荷物が大きいだけが違います。 |
旅は最初ミラノから始まり、まずミケランジェロの「最後の晩餐」の鑑賞。修復中でしたが 色あせて汚く期待していたのとは大違い。私の古い絵を見る心構えが間違っていました。 |
オプションでコモ湖に行ったのは正解。別天地のように素晴らしいところです。ここで別荘を持てなくても 夏一ヶ月くらい滞在してみたいと誰しも思います。 |
フィレンツエ、ミラノ、ローマはスリに要注意。子供が3人組みになり正面から 大きい子がこちらのポケットあたりを新聞紙で覆い、もう一人も何か声をあげ近づいて注意をそらし、後ろから一番小さい子がポケットに 手を入れて財布を抜き去る手口です。旅行中3回ポケットに手が入ってきましたが、すべて撃退しました。建物などの入り口の狭い所で赤ちゃんを抱っこして注意をそらす方法もあります。ただイタリアの場合子供だからこちらの身に危険は無い。お金は財布を使わないで今日使う分 だけの小額をそのままポケットに入れておくといい。パスポートやカード類は腹巻等内部に入れてがっちりガードのこと。 |
ヴェネツアのサンマルコ広場は観光客で溢れています。大運河にかかる橋は絵のように美しい。 もう一泊して美術館なども行ってみたかった。後日必ず再訪しよう。 |
ヴァチカンは世界のキリスト教の総本山。大聖堂やシステーナ礼拝堂など荘厳な雰囲気で 何か圧倒される感じです。もう少しキリスト教について勉強しようと思ってしまう。私自身は学生の頃2年くらい毎日曜日 教会のミサに通った経験はありますがこの程度では真髄は分かりません。 |
ポンベイの遺跡もこのイタリア旅行で最も見たかった一つでした。2000年前の姿が突然 地表に現れたのだからすごい。貴族の家らしきものでもこじんまりとしています。道路に馬車の轍が残り、さらに面白いのは 売春宿の方角を示す男性のシンボルが道路に刻まれていたことです。 |
ミラノを始めとしてフィレンツエ、ピサ、ベローナ、アッシジ、ヴァチカンと立派な大教会を見て回って の印象ですが、イタリアにはフランスやオーストリアにあるような大宮殿が無いから領主の搾取に代わって、教会が領民を搾取したのではないかと勘ぐってしまいます?そうでもしなければあんなに豪華な教会を沢山作れないはずです。イタリアはスペインと違い植民地からの収入がないはず、領民が進んで寄進したかもしれませんが、それだけではちょっと?それとも世界貿易で得た富を集めたのかもしれません。以上勝手な想像です。 |
今回の旅も自由時間が各所であるツアーを選びました。夫婦二人で知らないところを本や人に聞いて 回るのも、その時は苦しいけど後ではとても楽しい思い出になります。ローマでは足が棒になるくらい歩き回りました。 |
イタリアは何処に行っても遺跡で一杯。もう一回行くとしたら遺跡を中心にもっと詳しく 見学してみたい。 |