(4)スペイン・ポルトガル12日間の旅・・・H13(2001)年5月25日〜6月5日

昨年末永年勤務した会社を定年退職しましたので、記念に何処かに行こうと考えていたのですが、冬では楽しくなかろうと5月まで待ってスペインを中心にポルトガルを少し含んだ旅に決めました。今回はヨーロッパ旅行で定評のある阪神航空のツアーです。参加者は23名でした。

一日目 5月25日 成田→チューリッヒ→バルセロナ

自宅を7:00タクシーで出発、YCATからバスで成田A・Pに8:45着。集合時間は10時までG-3 JALカウンタ。今回の航空会社はスイスエアでチューリッヒ乗り継ぎバルセロナまでの飛行となります。スイス航空SR-169便は成田を12:20離陸してチューリッヒに向かいました。飛行機はMD-11型、240人乗りです。ジャンボ以外の飛行機でシベリア横断は初めてです。

(青枠の写真はクリックすれば大きくなります)

14:00昼食、16:00軽食で食事はJALより良かったと思います。おにぎりのお代わりまでしました。
ヨーロッパ上空 チューリッヒA.P アルプス上空

チューリッヒA・Pで3時間待ちには参りました。空港待合室には免税店があるのですが最初から買ってもしょうがありません。ぼうっとして時間待ちです。バルセロナへはスイスエアSR-668便、飛行機はA-320型(195人乗り) 20:25離陸して暫く飛行すると窓からスイスアルプスが素晴らしい眺めでした。22:00バルセロナ着陸。空港で5万円両替、ホテル着23:05(日本時間翌朝6:05)。

ホテルは「グラン・ホテル・カタルーニア」、長い一日でした。
バルセロナのホテル

二日目 5月26日 バルセロナ  晴

6:30起床、バルセロナの朝を迎えた。今日は好い天気で外は暑そうです。今日からスペインの観光開始です。9:00出発、しばらく走ると車窓から他と比べてひときわ異彩を放った建物が現れました。カサと呼ばれ「屋敷」,「邸」で高級マンションやお店になっているようです。本当に楽しくなる形をしていました。
カサ・トマス カサ・パトリョ

最初に来たのはグエル公園です。ガウディ(1852〜1926)が1900年頃から作った庭園で、目を見張るような奇抜な色彩と形をしています。陶磁器のタイルを用いて色んな物を模っています。
グエル公園

ここで30分くらいフリータイム、この場所は少し高台なので公園や町の眺めがとても良かった。
グエル公園(高台から)

聖家族教会

次に聖家族教会(サグラダファミリア)に来ました。沢山の人の行列です。この教会はまだ建設中で完成はまだ先のようです。内部に建設資材が沢山おいてありました。しかしあまり大きすぎてすぐ下からは24mmの広角レンズでも全体が入りません。写真を撮るなら離れた所からでないとだめです。でも変わった形の教会です。他の国にはない形です。

午前中の最後はピカソ美術館の見学でした。路地のような細い道を入って行くとあります。中世の建物を利用した美術館だそうです。ピカソがパリに行く前の若い頃修行に励んだ絵画が多数展示してありました。すべてあの抽象画ではなく、まともな絵ばかりです。私のように絵の素養が無い者には丁度分かり安くて良かったです。なお内部写真撮影禁止です。
ピカソ美術館へ

午後オプションでモンセラート観光に14:30出発。バルセロナから北西に53kmの所にあります。今にも落ちてきそうな岩山の中腹に修道院、大聖堂、美術館があります。
モンセラート修道院

頭の上の岩を見ると修行も真剣にならざるを得ないのでしょうか。三箇所共見ました。なかでも大聖堂の黒ずんだマリヤさんがバルセロナの守り神とのことで地元の人と思われる婦人がキスをし、預かってきたハンカチをマリヤさんの口に押し当てていました。夕方7時頃ホテルに帰りました。
モンセラート


夕食は地中海の海岸の側のレストランでカタルーニヤ風パスタ料理でしたが、味のほうは??でした。
バルセロナの夕食

スペインの習慣として昼食は2時〜、シェスタ(昼寝)が2時〜4時、夕食が8時以降だそうです。5月現在の気温は夕方でも30℃を超えていますがわりとからっとしています。太陽は8時過ぎまで出ていて9時半ころまで明るい。本日は盛り沢山のスケジュールで観光終了しました。

三日目 5月27日 バルセロナ→マドリッド  晴

今日は早朝便でマドリッドに移動なので、5時起床、ホテルを6時出発、6:25空港着、待合室でホテルの弁当を食べ、8:15発のイベリア航空のシャトル便でマドリッドに9:00着陸しました。空港からプラド美術館にバスで直行、今日は日曜日なので団体見学が禁止され、地図を貰って館内を見て歩きました。

ゴヤ、ベラスケス、グレコ、ポッティチェルリ、ムーリョなど世界的に有名な絵画が展示してあります。
プラド美術館
9:30〜11:30の予定で二人で鑑賞を始めましたが、館内があまりにも広いので良く知っている有名作家のものを中心に地図を頼りに回りました。本物を目の当たりに見て感激もひとしおでした。全部見たら相当足がくたびれそうです。館内はnoーflashで撮影可でした。

ゴヤ(1746〜1828)が一番人気が高いようで入り口に銅像が建っています。グレコ(1541〜1614)はギリシャ人なのですが長くトレドに暮らして生涯宗教画を書き続けたのだそうです。

そこを出て次に来たのはスペイン広場です。セルバンテス記念碑の前にドンキホーテとサンチョのブロンズ像が立っています。後方の大きな建物はホテルのようです。
スペイン広場

一帯は樹木が茂り花壇には花がいっぱいで憩いの場所になっていますが、暑いのとスリの危険地帯で写真を撮ったらすぐ引き上げました。気温は40℃近くまで上がっています。

グランビア通りは東京で言えば銀座通りです。車窓からだけでしたがバスで通過して王宮に来ました。王宮は現在も使われているそうです。内部も見学可能です。
グランビア通り 王宮

王宮前広場で記念撮影して、13:30ホテルチェックイン、13:30〜14:40ホテルで昼食しました。ホテルはグランホテル・ベラスケスです。夕方の闘牛観戦までフリータイムでしたが、暑いのと物騒なのとでホテルで昼寝タイムにしてしまいました。マドリッドは首絞め強盗や引ったくりが頻発しているようで、現地ガイド(日本人)さんもピリピリしていました。

19:00〜20:20闘牛観戦。3頭見ました。もっと牛が猛り来るっているものとばかり思っていましたが、最初に槍で牛の肩を刺し次に剣を6本も差し込まれてから闘牛士の登場です。
闘牛場

その時牛は片膝が着くほど弱ってしまっていました。目出度く3頭ともお陀仏しました。しかし西日をまともに受け暑いこと暑いこと胸に汗が伝わって流れているのを感じました。スペインの一番大きな闘牛場で見られてよい思い出になりました。この闘牛場は熱狂的な大観衆でいっぱいでした。

ここで殺された牛は早速解体され次の日には市場で売られるそうです。一般の食肉用に比べて安いのだそうです。ツアーで一緒の女性で、可愛そうで見ていられないと出てしまった方が何人もいました。


闘牛観戦後「バハマール」と言う海鮮パエリアのレストランで夕食。21:00〜22:30
海鮮パエリア

ホテルに22:40に帰りました。スペインは昼食や夕食時間が遅いので押せ押せで寝るのが遅くなります。その分観光時間が長いとも言えますが。

四日目 5月28日 マドリッド  晴

今日はマドリッド郊外のアビラ、セゴビアの観光です。8:30ホテル出発。高速道路を北西に100kmくらいの所です。途中車窓からコロン広場のコロンブスの記念塔を見、さらに進むとフランコ総統の大きなモニュメントを遠くに眺め、石ごろごろの大地を通り、風力発電群を見ながら10:10アビラ到着。

アビラは城壁で囲まれた古い町です。
アビラの町

修道院 ステンドグラス 城門 店の看板

まずサンタテレサ修道院を見学、聖女テレサの物語がステンドグラスになっていました。歩いていると思わずふきだしそうな看板がありました。次にバスはセゴビアに向かい12時着。

セゴビアの水道橋は山から水を引くため紀元1世紀に作られたもので、花崗岩の積み上げたものですがよく今までもったものだと感心します。

セゴビアでの昼食は当地の名物料理の子豚の丸焼きでした。
セゴビアの水道橋 子豚の丸焼き カテドラル

子豚の姿かたちが分かるので可愛そうな気もします。当方には足が配給されましたが大変美味しかったです。レストランを出て大きな大聖堂(カテドラル)を横に見ながら徒歩でセゴビア城(アルカーサル)に来ました。

立派な城で白雪姫のモデルになった城だそうです。
セゴビア城 城の上から 城の下から

階段を140段も登って城の上からスペインの大地を眺めました。「広いなー」下からの城の眺めも「素晴らしいなー」 15:30セゴビアを出て17:00マドリッドに戻ってきました。

まだ時間が早いのでタクシーで王宮を見に行きました。現在も海外からの賓客の接待に実際に使われているのでさすが立派なものです。NO-Flashで撮影可ですが内部は暗くて不可と同じです。ヴァイオリンの名器「ストラデバリウス」が沢山陳列してありました。
王宮内部 王宮内部 王宮シャンデリア

またタクシーに乗り今度はレイナソフィア美術館に行きピカソの「ゲルニカ」を見ました。大きな絵でひとが近ずき過ぎないよう係員が厳重に見張りをしていました。写真は厳禁で入り口でカメラを取り上げられます。
ゲルニカ

さらにまたタクシーでロエベに行き家内のハンドバックを買いホテルに20:20帰りました。今日は大活躍の日でした。

五日目 5月29日 マドリッド→トレド→グラナダ  晴

6時起床、今日も晴れ、暑くなりそうです。ここマドリッドから最終のリスボンまでバスの旅の始まりです。8:30ホテル出発、トレドは南西に70kmくらいの所にあり9:30に到着しました。トレドは1561年までの首都で、城壁に囲まれた石畳の坂の多い街です。観光はすべて徒歩によります。城門からエスカレータで街に入ります。

サントメ教会 カテドラル

最初にサントメ教会に行きグレコの傑作「オルガス伯の埋葬」の絵を見ました。このように手厚く葬られる人はキリスト教の拡大に大きく貢献した人かまたは聖職者の場合迫害を受けた人に限られるのではないでしょうか。

カテドラルは現在もスペインのキリスト教の総本山で、ローマ法王を出す資格のある教会だそうです。1227年着工、1449年完成、その後増改築を繰り返し今日の姿になっています。中でも聖器室は美術館そのもので、グレコ、ゴヤ、ベラスケスなどの著名な画家による絵画が展示してありました。

カテドラルを出た後お土産やに連れて行かれ、そこでリャドロの人形を買ってしまいました。箱が大きいのでこれからの持ち運びが大変です。12:30〜13:30トレドの川の反対側でトレド全体がよく見渡せる所で食事。学生の生バンド付きでした。ここでCDを買ってあげました。
トレドは左から写真の順番の景色です。
トレド(1) トレド(2)
塔が見えるのはカテドラル、四角い建物が王宮です。川はタホ川と言い、最後はリスボンまで流れてテージョ川となります。
トレド(3) トレド(4)

トレドを13:30に出て一路グラナダに向かいました。道路から見える景色は麦、オリーブ、ぶどう畑が見渡す限り続きます。

スペインのオリーブの生産は世界一だそうです。
麦畑オリーブ畑 葡萄畑

スペインの畑はオリーブでも葡萄でも何処までも何処までも続いているので取れすぎて困るのではなかろうか?とか収穫の時労働力が確保出来るのだろうか?乾いた台地に見えるが灌漑は大丈夫なのだろうか?と余計な心配をしてしまいます。

トレドから1時間で風車の残るコンスェグラに着きました。風車はもう壊れかかっています。説明してくれた現地のスペイン人の関西弁にあっけに取られました。「儲かりまっか?」「ぼちぼち」ここを出てラマンチャ地方の畑の中をひたすら走り15:20プエルトラピセで休憩。ここはセルバンテスがドンキホーテを書いた宿と言われています。
コンスェグラの風車 プエルトラピセ

さらに何回か休憩して走り続けると山岳地帯にさしかかり、峠を越えると遥か前方に雪を被ったシェラネヴァダ山脈が見え始めました。
山岳地帯 シェラネヴァダ山脈 グラナダのホテル

グラナダのホテルには19:10到着です。アメリカンスタイルの大きなホテル、サンアントンです。夕食は20:00〜21:00ホテルのバイキングでした。

六日目 5月30日 グラナダ→コルドバ  晴

6時起床、清々しいグラナダの朝です。グラナダは周囲を高い山に囲まれた盆地なので涼しいようです。シェラネヴァダ山脈からの雪解けで水も豊富です。そのためイスラムの王朝が800年に亘りこの土地を支配し1492年まで栄えたそうです。スペインで最後まで続いたイスラム王朝だそです。今日はそのイスラム文化の象徴のアルハンブラ宮殿の見学です。

8:30ホテル出発。9:00〜10:45見学。このツアーの最大の見所であるアルハンブラ宮殿に来ました。
アルハンブラ宮殿全景 アラヤネスの中庭
入場してすぐちょっと離れた所にあるヘネラリフェ庭園から見学を始めました。ここは夏の離宮と呼ばれ小さな噴水から水が円弧を描き飛び出し花々が咲き誇っています。王宮であるアラヤネスの中庭やライオンの中庭はイスラム芸術の真髄を表現しています。
花壇 花壇
宮殿内部の装飾もよく保存され見る人の目を引き付けます。
宮殿内部 ライオンの中庭
他にカルロスX世が建てた宮殿もありますが、イスラムと関係のない後世のものです。征服したキリスト王もこの地を好んだそうです。素晴らしい青空瑞々しい花や木々、そして清らかな水、まるで別世界にいるような気持になりました。
ヘネラリフェ庭園 アセキアの中庭
11:00〜11:35お土産や、12:00〜13:05グラナダ市内で昼食、海老とスイカが出されました。この店有名人も来ることがあるようでドミンゴの写真も貼ってありました。
昼食の海老 レストラン

13:05グラナダを出発、左手にシェラネヴァダ山脈の残雪を見ながらコルドバに向かいます。14:30エスタション・ルケと言う小さな村で休憩、ここは乾燥サフランが特に安いそうで買いました。15:00白い町で名前を知られたバエナで写真ストップ。
グラナダを後に 白い町バエナ

どこまでもオリーブの木が植わった畑が続き、やっと16:20コルドバのローマ橋に到着しました。
オリーブの木 コルドバ到着

他の国の旅行だったらホテルに入って今日はこれでおしまいとなるところですがスペインはそうは行きません。なにせヨーロッパ標準時間の西の果てで日がやたらと長いのと、おまけに夜8時を過ぎないとレストランが開きません。16:35〜18:00徒歩観光です。

メスキータの塔 メスキータ内部 花の小道 闘牛博物館

メスキータとはスペイン語で回教寺院を意味しますが、外観や内部はそれを利用してキリスト教寺院に改造したのでイスラム色が強く残っています。中庭にはオレンジが沢山植えられ、内部はイスラム寺院とキリスト教会の混合です。まこと異様な雰囲気です。メスキータの後細い迷路のような道を歩き、花の小道で写真タイム。小道の間から見えるメスキータの塔(アルミナール)を入れるのがポイントです。それからユダヤ人街や闘牛博物館の前を歩いてホテルに戻りました。

夕方6時なのに焼け付くような暑さです。40℃くらいありそうです。5時頃が最も暑いようです。街を歩いていてマドリッドのような怖さはありません。歩いている人ほとんどが観光客ですから。まだ夕食まで時間があるので二人でローマ橋まで行ったり、メスキータのオレンジの中庭で座っていたり、細い路地のお土産やを覗いたりしてコルドバの街を楽しみました。20:00〜21:15ホテルで夕食。ホテルはメスキータの前にあるコンキスタドールです。

七日目 5月31日 コルドバ→セビリア  晴

9:00コルドバのホテル出発し、セビリアに向かう。15分くらい走ってひまわり停車。何処までも果てしなくひまわり畑が続きます。よくまーこんなに沢山植えたものかと呆気に取られます。
ひまわり

途中1回休憩を挟んで11:00セビリアに到着しました。
セビリア到着 スペイン広場 壁画

川や道路の横にきれいな紫色の花が咲いている木があり、「ジャカランダ」と言うのだそうです。日本では見たことがありません。家内の話だとオーストラリアにも咲いているようです。最近TVで見たんのですが南米でも咲いていました。

早速観光開始です。最初にスペイン広場でバスを降りました。ここは1929年の万博のスペインのパビリオンが残されています。陶器で作られた壁画が大変よく出来ていました。コロンブスのアメリカ大陸発見等を絵にしたものです。

次に本日の最大の見所セビリア大聖堂(カテドラル)に来ました。ここは世界で3番目に大きいそうです。
セビリア大聖堂 聖堂内部 ヒラルダの塔から

この教会もかってのイスラム寺院を利用や改造をして作られていますが、あまり素人には感じられません。内部の礼拝堂は金色に輝いています。いかに植民地からの富が大きかったかを表しています。それでかコロンブスの棺が丁重に扱われています。コロンブスはここセビリアから船出をしたのです。リスボンではないのです。
 大聖堂の横にそそり立つヒラルダの塔にも上がりました。この塔は馬でも登れるよう階段ではなく螺旋の斜面になっていて楽でした。地上70mの眺めもまた格別でした。
コロンブスの棺

13:45〜14:30レストランで昼食、15:00ホテルチェックイン。ホテルは「メリア・レブレロス」と言いアメリカンで部屋も立派で広かった。夕方7時のフラメンコショウの見学までフリータイムになったのですが、外はあまりの暑さでギブアップして、ホテルの前にあるデパートに行ったくらいで休憩に当てました。

フラメンコショウ見学のためバスで劇場に。19:00〜21:15
フラメンコショウ

もっと激しいものとばかり思っていたが、結構優雅な踊りと感じました。帰った後で聞くところによると、こちらの見たのはショウ化されたもので、小さな小屋での観衆と一体になったフラメンコもあるのだそうです。

ホテルに戻って夕食21:30〜23:00、今日も寝るのが遅くなりました。

八日目 6月1日 セビリア→リスボン  晴

今日は出発が遅いので7:30に起きました。8:30〜9:00バイキングの朝食。
10:10ジャカランダの咲くセビリアを後にバスでリスボンに向かいます。今日のバスは長距離です。現在の気温は23℃です。途中休憩を挟んで13:05サフラ到着。

13:30〜14:45 パラドール(古城などを改造した国営ホテル)で昼食。
パラドール

高級店のようで上品な味と盛り付けでいい雰囲気でありました。
パラドールで昼食

スペインの高速道路では広告の看板は禁止されていて、唯一許されるのが牛の看板だけとか(ワインの宣伝?忘れました)。16:05ポルトガルとの国境(境界は無い)になりました。ここで休憩を兼ねて両替。ペセタからエクシードになります。でももうすぐユーロになります。
看板 国境の両替所

国境を越えると周囲はあたり一面コルクの木ばかりが続きます。今までのスペイン側はどんぐりの木ばかりでした。なおどんぐりは家畜(豚が多い)のえさで、木の下で放し飼いにしておけば良質な肉になるそうです。コルクの生産はポルトガルが世界一です。用途は勿論ワインの栓です。
コルクの木 リスボンに入る

19:00リスボンに入る直前巨大なキリスト像に迎えられ、テイジョ川にかかる大きな橋(4月25日橋)を渡って市内に入りました。

ホテルはリスボン市内で一番背の高い「ホテル・シェラトン」 Lクラス3連泊です。14階の部屋から4月25日橋までが見えます。
シェラトンホテル 14Fからの展望

ポルトガルはイギリスと同じ時間帯を使いますので時計を1時間遅らせました。今までの太陽との関係の違和感が少し薄れました。気温の方もぐぅんと涼しくなりました。10℃は低いようです。朝晩の気温が晴天で18℃,日中で26℃くらいでした。生き辺った気持ちです。

20:15〜23:30ファドショウ&夕食。
夕食の肉 スープ

ファドはポルトガルの演歌のようです。かってのイスラムやスペインの支配下での悲しみ、舟で出かけた夫を待つ心情を心を込めて歌っているようです。でも残念なことに全然分かりませんでした。
ファドショウ

九日目 6月2日 リスボン  晴

6:30起床、7:00〜7:45早朝散歩、リスボンはスペインと違って安心して歩けます。それに涼しい。エドワードU世公園のジャカランダを見に行きました。綺麗です。日本の桜と同じように道路の横に列になって植えてあります。セビリアよりも皆大木です。
ジャカランダの花

9:00リスボン及び近郊の観光に出発しました。今日も快晴です。
観光出発 ベレンの塔

最初は「ベレンの塔」です。これは16世紀に港を守る要塞として作られたものだそうです。横には海のように広いテージョ川が流れています。かってはもっと水が沢山流れており下の方は浸かっていたようです。そこは水牢でした。このテージョ川はトレドの方から流れてきます。

発見のモニュメント 拡大 ジェロニモス修道院 修道院中庭

ベレンの塔から川沿いに徒歩数分に「発見のモニュメント」があります。これはまだ新しく、1960年にエンリケ航海王子の没後500年を記念して作られたそうです。像の中にコロンブスさんも入っています。高さが53mもある大きなものです。

引き続きその後ろにあるジェロニモス修道院に入りました。壮麗なゴシック風大建築で、16世紀のポルトガルの栄光を今に伝える白亜の大寺院です。バス・コ・ダガマの海外遠征で得た巨万の富を費やして建てたものです。特に中庭の柱の彫刻が有名です。

ジェロニモス修道院全景

シントラ(山は要塞跡) シントラのレストラン いかの串焼き いか

シントラはリスボンの西北西約30kmにあり12世紀から王家の避暑地になっていた風光明媚な地です。13:45着。
ここでいかの串焼きの昼食、味は日本と変わりません。久し振りに海の幸を食べました。レストランの昼食14:00〜15:00。

15:30〜16:50王宮見学。
王宮内部はスペインと同じように陶磁器がふんだんに使われ豪華でした。写真禁止です。建物でユニークなのは煙突です。真っ白い大きな塔で、台所の排気用と言うから驚きです。王宮から反対の山の上に要塞跡がよく見えます。もしあの上に上ったらきっと王宮や街が綺麗でしょう。
シントラ王宮 王宮の煙突

ロカ岬 最西記念塔 詩文 大西洋

17:20〜18:00ロカ岬見学。
詩人カモンエスが「ここに地果て、海始まる」と詠ったヨーロッパ大陸最西端の場所です。ここに来る前から憧れていましたが、来てみれば日本の足摺岬や石廊崎と似たようなものでした。ここで到達証明書を貰いました。900エクシード也。ここから海を眺めると「大西洋も広いなー、このずっと先はボストンかな?」と思いに耽っていました。19:00ホテル帰着。

今日の夕食はフリーだったのでホテルの近くの中華料理屋に行きました。日本語は一切通じませんが、横浜の人間には漢字のメニューで料理の内容が分かりますから色々注文してたらふく頂きました。とても結構でした。
中華料理

十日目 6月3日 リスボン→オビドス→ナザレ→リスボン  曇→晴

朝起きたらびっくり、曇り空、気温も15℃で涼しい。7:00〜7:45朝食。今日はリスボンの北の方の観光です。

オビドスの城壁 高台からのオビドス 屋根 路地

9:03バスでホテル出発、リスボンから北に約90kmのオビドスに向かい10:00着。オビドスは城壁に囲まれたこじんまりとして石畳の細い路地、箱庭のような街です。かって王妃様の直轄地だそうです。少し高い位置から街を見下ろすと屋根瓦が皆同じ色で統一されています。路地を歩くと花が沢山飾ってあります。観光客も多くほとんどがお土産やでした。

11:00にオビドスを出てさらに北に30kmのナザレに11:50到着。ナザレは漁港であるが、海水浴やウインドサーフィンのメッカのようです。まだ時期的に早いのか海には誰も入っていません。海岸の道路淵に、おばさん達が魚の干物を売っていました。日本の干物と変わりがありません。ただここでは焼かないで生で食べるそうです。
ナザレの浜 鯵の干物

高台から下を見るといい眺めでした。日本から写生に来ているおじさん達がいました。断崖絶壁の絵を描くためです。
上からのナザレ かもめ

12:30〜13:30ナザレで昼食。いわしの塩焼きでした。日本から醤油を持参してきた人から少し貰って付けました。だんだん日本が恋しくなってきました。

14:05ナザレ出発、16:30リスボン到着。リスボンは晴天に変わっていました。

16:45〜19:10ショッピングセンターに最後の買い物に。今日も夕食はフリーなので食べ物を買ってきました。観光は今日ですべて終了しましたので、最後の締めくくりに公園のジャカランダを見ながらホテルに帰って来ました。明日は超早起きになります。
ジャカランダ

十一日目 6月4日 リスボン→  曇

3:30起床、ちょっと早過ぎました。朝の気温12℃寒いくらいです。
4:30ロビーでパンとコーヒの簡単な食事
5:15ホテル出発、5:30リスボン空港着、搭乗手続きと免税スタンプをもらう。
7:23リスボン発チューリッヒ行き スイスエアSR-695便 A-321型機

チューリッヒ空港でまた3時間以上の待ち合わせ、残ったお金でチョコレートなどを買いました。ひたすら時間の経つのを待つのみ。

14:18チューリッヒ離陸  SR-168便 スイス航空  MD-11型機
3時 飲み物
4時 夕食
チューリッヒ空港

十二日目 6月4日 →成田  

日本時間朝 7時 朝食
8:40成田着陸  11時間30分の飛行時間でした
成田からYCATまでバス、そこからタクシーで自宅に11:30に帰ってきました。ご苦労様でした。 完 




旅の感想

定年退職記念として憧れのスペイン、ポルトガルの旅を選びました。スペインは直行便が無くチュウリッヒで乗り継ぎバルセロナに行くスイスエアになりました。チュウリッヒ空港で3時間も待ち合わせになり最初からうんざりしてしまいました。

スペインは何処までも続く乾燥した広い台地(日本の1.4倍)、そして少ない人口(日本の1/3)の上、オリーブや葡萄、麦、ひまわり、どんぐりなどの畑が見渡す限り続く。取れすぎて困るのでは?収穫の時労働力は確保出来るのだろうか?雨が降らなかったら灌漑は大丈夫なのか?と余計な心配をしてしまいます。

5月なのにあまりにも暑い。マドリッドやセビリアで40℃はあります。歩く元気がなくなってしまいます。 でもこの温度はかんかん照りの地表での温度のようで、百葉箱で測定した気象台発表の気温ではありません。

夜は9時過ぎまで明るい。一日が長く使え観光には好都合です。ただし朝は遅く6:30頃に 明るくなります。そのため早朝散歩は出来ません。標準時間の設定が西に2時間くらいずれている感じです。何しろマドリッドと 遠く東のローマとが同じ時間帯なのですから。

シェスタの習慣は観光客には困ります。夕食が8時過ぎないと食べられませんから、時間が押せ押せで 寝るのが12時を過ぎてしまいます。観光客向けに開いているレストランがあってもよさそうです。

マドリッドは治安を厳重にして欲しいものです。スリやかっぱらいは勿論のこと首絞め強盗が頻発するそうです。このままでは二人では歩けません。個人行動はタクシーで移動しました。タクシーに乗るまでの歩きがびくびくでした。

バルセロナ、セビリア、トレド、コルドバと教会はすべて立派です。奇抜なデザインの聖家族教会やスペインのキリスト教の総本山であるトレド大聖堂などまるで美術館のようでもあります。コルドバやセビリアの教会はイスラム寺院を改修してキリスト教会にしたものでイスラム色が濃く残っています。イタリアと違って内部が金色に輝いている教会が多いと思いました。植民地からの金銀財宝がふんだんに使われたようです。

レコンキスタと言ってイスラムからのキリスト教の復権が未だに尊ばれているように見受けられましたが イスラムだってスペインの発展にどれだけ寄与したか計り知れないのではないでしょうか?

マドリッドで闘牛を観戦したのですが、あんなに牛を最初に弱らせないで元気なのとやって欲しいと思いました。マタドールが出てきたときは牛は膝を着くほど弱ってしまっています。

プラド美術館やレイナソフィア美術館でグレコ、ゴヤ、ヴェラスケス、ピカソなど著名な画家の作品を見ることが出来ました。まだ数百年も経っていないので退色はしていません。描いた当時のままの絵が見られます。ピカソの「ゲルニカ」の絵の 警備の物々しさには驚きました。

コルドバの紀元1世紀に作られたローマ時代の橋が現在もなおバスが通っても大丈夫なのは驚嘆に値する 建築技術と思います。セゴビアの水道橋もあの高さまでよく積み上げたものと感心します。スペインは地震がないのでしょうか?

スペインに来たかった理由の一つはグラナダのアルハンブラ宮殿を見たかったことにあります。 シェラネバダ山脈からの豊富な雪解け水で木々は青青とし、色とりどりの花々が咲き乱れ、空気も澄んでその上涼しく、まさにこの世のパラダイスと感じました。

ポルトガルはスペインとは比較にならないほど涼しい。朝の気温約12℃、最高気温は 26℃くらいです。スペインより10℃は低く過ごしやすい所だと思う。

ポルトガルにも来たかった理由はヨーロッパ大陸の最西端のロカ岬をこの目で見たかった ことにあります。実際来て見れば日本の足摺岬や石廊崎と似たようなものでした。なお到達証明書はしっかりもらってきました。

リスボンの発見のモニュメントやベレンの塔は巨大な石の建造物です。よくあれだけの物を つくったものだと感心します。横を流れるテージョ川の大きさにも驚きました。テージョ川はスペインのトレドの先から流れて 来るそうです。

ポルトガルのナザレやオビドスやシントラは小さいけど楽しい町だと思いました。スペインと違って どこか休まる気がするのです。安全だからでしょうか。

リスボンは丁度ジャカランダの満開の季節でした。本当に清々しいさわやかな色です。 日本の桜と同じように道路の横に列になって植えてあります。南米やアフリカもジャカランダが咲くそうです。

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