(5)中欧の街を訪ねて13日間の旅・・・H14年9月16日〜9月28日 |
今回は日本と同様第二次世界大戦の敗戦国である旧東ドイツ、チェコ、オーストリア、ハンガリーを訪ねて13日間の旅をしました。今度もヨーロッパツアーで定評のある阪神航空のパッケィジ・ツアーを選びました。8月の集中豪雨の後でしたので参加者は夫婦5組の10名でした。 |
一日目 9月16日 成田→ウイーン→ベルリン |
{青枠の写真はクリックすると大きくなります} |
今朝は5時に起き、YCATからバスで成田に8:05到着、全日空カウンタで手続きをして9:30再集合、同年代の夫婦ばかり5組と分かり今度もまた良い旅になりそうです。今日はウイーン乗り継ぎのベルリンまでのフライトです。航空会社はオーストリア航空OS-052便、機体はA340-200型、257人乗り。 |
11:05成田A.P離陸、飛び上がって1.5時間経った頃昼食の時間です。私はビーフ、家内はフィッシュ(鰻)、とても美味しかったです。夕方5時頃おやつの時間でおにぎりが出ました。これもベリグッドで最後尾まで行きお代わりを貰ってきました。 | ![]() |
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ヨーロッパ上空 | 位置表示 |
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長い長いシベリア横断のすえ予定より早く15:35(以降ヨーロッパ時間)ウイーンA.p着陸、11.5時間のフライトでした。パリやロンドンなど他の空港に行くよりより飛行時間が1時間短いのは非常に助かります。12時間を越えると本当に嫌気がさして来ます。 |
ウイーン空港 | ベルリンへ |
乗り継ぎの待ち時間も1時間と短く、B-28ゲートで再集合、今度はTyrolean航空(オーストリア航空の子会社)、FOKKER-70型機(80人乗り)18:06ウイーン離陸、べりリンに19:05着陸しました。空港からベルリン市内までは近く19:40ホテルに入りました。自宅を出て21時間かかった計算になります。まだこの時期夕方7時半くらいまで明るかったです。(サマータイム中) |
二日目 9月17日 ベルリン 曇 |
今日から観光が始まります。6:30〜7:00朝食。沢山食べました。出発まで時間があったのでホテルから徒歩で近くのカイザー・ウイルヘルム教会まで散歩しました。ホテルは西ベルリン地区のZoo駅に近い「エクセシオール」です。この教会は爆撃されて破壊された状態のまま保存されています。二度と戦争を行わない記念碑として。 | ![]() |
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朝食 | ウイルヘルム教会 |
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9:00大型観光バスにたった10人を乗せ観光に出発、最初に来たのはシャルルロッテンブルグ宮殿です。この宮殿はプロイセン王フリードリッヒが奥方のために建てた夏の離宮だそうです。 |
シャルルロッテンブルグ城 | フリードリッヒ大王 | ベルリンの壁 |
続いてベルリンの壁に来ました。ほとんど壊されていますが一部が保存されています。高さ4m、厚さ10cmくらいのものです。1989年撤去ですからまだ10年ちょっとしか経っていません。沢山の観光客がいました。 |
次にベルリン観光のメインとなるペルガモン博物館に来ました。紀元前180年のトルコの神殿を持ってきたそうです。 | ![]() |
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ペルガモン博物館 |
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大きくて立派な彫刻がしてあり、そんな昔トルコにこれだけの文明があったのかと脅威です。ギリシャに近いから当然かもしれませんが? |
ペルガモン博物館 |
12:00〜13:20市内のレストランで昼食、初顔合わせでそれぞれ自己紹介をしました。歳を聞いてびっくり、皆さんご自分が一番若いと思っていたようです。全員同じような年齢で大笑いしました。 |
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戦勝記念塔 | 塔の上から | 旧国立美術館 |
13:30 午後は自由行動で二人で出かけました。ホテルから地図を頼りに徒歩で戦勝記念塔まで30分で来ました。この塔は1864年プロイセン軍がフランスとの戦いで勝利したことを記念するものです。階段を285段も登り、上から見たベルリンは緑がとても多く感じられます。 次はタクシーに乗り午前中行ったペルガモン博物館の隣にある旧国立美術館に向かいました。途中修復中のブランデルブルグ門を通過しましたが、思っていたより小さく感じられました。9/末完了予定だからタッチの差でした。この一帯は東べりリンの博物館の島と言われ博物館や美術館が沢山あります。この美術館は午前中の博物館と共通入場券になっています。NO-FLASHで撮影OKです。ゴーギャンやラファーエロなどの有名作家の絵もありました。 |
美術館を出たら隣に立派な教会があったので入ってみました。ドイツ語の地図を必死に見たらベルリン大聖堂(ドーム)でした。入場券を払い地下にある王様達の立派な棺を見ました。 | ![]() |
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ベルリンドーム |
またタクシーで西ベルリン地区まで戻りKDBデパートでお土産のタオルなど買ってホテルに6時に帰りました。 7時からレストランで夕食、少しづつ顔と名前が分かり始めました。 |
三日目 9月18日 ベルリン→ポッダム→ライプツィヒ 曇(雨) |
5:45起床、6:45〜7:20朝食、8:10〜8:40ホテルの近くを散歩,ベルリンは坂が無く平地なので自転車通勤の人が多いそうです。歩道を我が物顔で走るので要注意です。 |
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8:50ポツダムに向け出発、9:40着。最初ツェツィリエンホフ宮殿の見学です。この宮殿は日本の降伏条件が話し合われたところでスターリン、トルーマン、チャーチルなどが座った椅子などがそのまま保存されていました。しかし日本人として喜んで見たいと言う場所ではありません。 |
ツェツィーリエンホフ宮殿 |
この建物は宮殿と言うよりカントリーハウスのようで、その昔貴族の王子様が住んでいたそうで、部屋はわりと質素ではありますが重厚な家具が置かれ、庭には花が咲き乱れています。一部はホテルに使用されているもようです。 | ![]() |
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ツェツィーリエンホフ宮殿 |
11:30〜12:30ポッダムの町に戻り昼食、フイッシュとジャガイモとソーセイジでした。 |
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サンスーシ宮殿 |
13:10〜15:10サンスーシ宮殿見学。 ここはプロイセン王フリードイッヒU世の夏の離宮として1745年に作られたものです。「サンスーシ」とはフランス語で「憂いのない」と言う意味で大王さんはかなりフランス被れをされていたそうです。最初に広大な庭の見学、中国式茶室や階段状の葡萄棚温室や噴水庭園など散策しました。階段状の温室如きものには葡萄の他いちじくも植えてあるようですが、宮殿にそんなものをいっぱい植えてどういう意味があるのかピンときませんでした。上から下の噴水や広大な庭園が見渡せます。残念なことにもう少し天気がよければもっといいのに。 |
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宮殿内部も入場して見学しました。写真禁止です。 |
茶室 | 庭側正面 | 温室 |
めったに本宮殿の見学にならないそうで、別の新宮殿などに振り返られるそうです。ヴェルサイユ宮殿に比べれば規模が違いますが、夏の離宮にしては立派なものです。 |
ポッダムの町に市電が走っていますが、終戦直後ソ連は電車の線路まで剥がして持ち帰ったそうです。 ポッダムを後にして一路ライプツィヒにアウトバーンを走り18:00到着しました。 |
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ライプツィヒに |
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ホテルは5星「Intercontinental」です。夕食もホテルでした。 |
ライプツィヒのホテル | ホテルの夕食 |
四日目 9月19日 ライプツィヒ→マイセン→ドレスデン 曇 |
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ライプツィヒの町 | 市庁舎 | ゲバントハウス | ゲーテ像 |
9:25〜11:30ライプツィヒ徒歩観光。 この町はゲーテとバッハとメンデルスゾーンでもっている文化都市です。森鴎外もここに留学していたそうです。中心部は歩いて回れます。市庁舎前が広場になっていて、周囲がよく見渡せます。ゲーテの像が2箇所ありますが、写真のゲーテは若い頃酔っ払った時のものだそうですが、足を触ると幸運が訪れるとか?皆さん触りました。 メンデルスゾーンのゲバントハウスも近くにありました。クラシック音楽ファンなら誰でも知っている有名な管弦楽団の本拠地です。ニコライ教会、トーマス教会、マルクト広場、ライプツィヒ駅など自由に歩きました。なおこの旧東ドイツ地区はトイレはデパートの中でもすべて有料ですので小銭が必要です。 |
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トーマス教会 | 教会内部 | バッハの墓 | バッハ像 |
トーマス教会はバッハがオルガン奏者兼声楽隊長を勤めていてミサで歌う曲を毎週作曲したのだそうです。教会内部にはバッハの墓が祭壇正面にありいつも花が飾られていますし、ステンドグラスにも顔が入っています。教会の入り口にはバッハの銅像が建っています。 |
11:30ライプツィヒを出発、マイセンに向かいました。一面に畑が広がりますが、麦はこの時期収穫が終わっており、一部家畜用のとうもろこしが残っていました。 |
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マイセン工房 | 買いました |
13:10マイセン到着、13:10〜14:15エルベ川の崖の上のレストランで昼食。マイセンはこの8月の洪水の被害が特にひどく町の半分が水没したそうで、現在復旧工事中でした。建物の下から2m位のところに水位を示す線ができていました。 14:30〜16:00マイセン工房見学。工房では工程順に実演してくれます。全くの手作業かと思っていましたが、型など使って均一性を保っていました。2階には古いマイセンの展示もしてあります。1階は即売コーナで大半が日本人です。高いなとは思ったのですが、記念にとテーカップを買ってしまいました。スペインに続いてまた持ち運び注意です。 |
マイセンを出て17:00ドレスデン郊外のホテル到着。周囲は畑や一戸建て個人住宅ばかりでした。夕食もホテルでした。 | ![]() |
ドレスデンのホテル |
五日目 9月20日 ドレスデン→バスタイ→プラハ 曇 |
8:25ホテル出発、8:45〜11:00ドレスデン中心部観光。最初に劇場広場と呼ばれる所でバスを降り後は徒歩で回りました。 |
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ツヴィンガー宮殿(広場側) | ザクセン王ヨハン |
広場の中心に立つとゼンパー・オーパ(オペラ座)が右側に、正面にはツヴィンガー宮殿が、そして左手にはカトリック宮廷教会が聳えたっています。真ん中には真っ黒なザクセン王ヨハンの騎馬像が立っています。ゼンパーと言うのはその名前のイタリア人が設計したことに因んでいます。 |
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建物全体が黒ずんでいるのは、使われた石材に鉄分が多く含まれ長い年月で酸化したことによるそうです。 |
オペラ座 | 宮廷教会 | ゲオルク門 | |
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このドレスデンは第二次世界大戦で英軍のこれでもかと言う徹底的な爆撃を受け壊滅状態になったそうです。 |
ツヴィンガー宮殿中庭 |
この町は宗教改革のルターが活躍したところですから、宮廷はカトリック、民衆はプロテスタントが多いそうです。 ツヴィンガー宮殿の中庭に入りましたが、8月の洪水で冠水したそうで現在も復旧工事中でした。かなり大きな芝生の庭です。絵画館は閉鎖中で、残念ながらラファエロの「聖母子像」は見られませんでした。代わりはアルベルティーヌム絵画館になり、絵より金銀財宝の山を見てしまいました。 |
劇場広場をちょっと入ったところに君子の行列があります。 | ![]() |
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君子の行列 |
ヴェッティン公爵家の勝利の凱旋をマイセンの磁器で描いたものです。旅行パンフレットを見て想像していたよりはるかに規模の大きいものでした。 |
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洪水が嘘のようにエルベ川は優雅に流れています。川の淵の遊歩道からとても綺麗です。上流や下流に行く船が見えます。貨物はプラハまで運べるそうです。 |
エルベ川 |
11時ドレスデンを出発してバスタイに向かいました。 |
12:15〜13:00バスタイのホテルで昼食。 13:00〜14:00バスタイ観光。 |
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バスタイ |
バスタイはザクセンのスイスと呼ばれる景勝地でチェコとの国境に近い所にあります。奇岩がニョキニョキと突き出た岩山です。下をエルベ川が蛇行しながら流れています。沢山の観光客で溢れていました。岩山もいいのですが上から眺めるエルベ川も綺麗です。
14:00バスタイを出発、しばらく走るとチェコとの国境に差し掛かりました。14:50〜15:15パスポート審査、係官がバスに乗り込んで来ました。元共産圏だから少し怖い気がします。チェコに入ると道路の横にTシャツや瀬戸物その他日用雑貨を売る店が軒を連ねています。ドイツからの客のためで、物価がドイツより安いようです。途中モルダウ川の氾濫で道路が陥没して渋滞していましたが17:40プラハのホテルに着きました。なおエルベ川はチェコに入るとモルダウ川に名前が変わります。 |
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ホテルでちょっと休憩して、中華料理屋で夕食をたべました。久し振りに美味しかった。 |
中華料理 |
ホテルはプラハの郊外に位置し地下鉄の始発駅の近くなのですが、地下鉄は洪水のため運休中でした。ディプロマット言う名の大きなホテルでした。3連泊です。 | ![]() |
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プラハのホテル |
六日目 9月21日 プラハ 曇/晴 |
5:45起床、6:45〜7:30朝食、9:00観光出発。 |
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最初にプラハ城に入りました。城と言っても目立つのは教会だけです。城内に入る時鉄砲を持った衛兵の横を通ります。かっこいい若者をえらんでいるとか?真っ直ぐ正面は大統領官邸になっています。左に行くと聖ビート大聖堂です。 |
プラハ城入り口 |
聖ヴィート大聖堂は1300年代のゴシック様式の建築物で、歴代ボヘミア王の戴冠式が行われたチェコで最も重要な場所です。塔の高さは96.5mもあります。 | ![]() |
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聖ヴィート大聖堂 |
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ステンドガラスから光が後光のように差し込みます。城は高台ですから下を見るとカレル橋とモルダウ川が眼下に見え、遠く霞んで塔のある建物が沢山見えます。塔が多いのでプラハは百塔の町と言われます。 |
大聖堂内部 |
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カレル橋 |
城からカレル橋まで降りて来ました。沢山の人の群れが歩いています。観光の人以外に、絵を描く人、楽器を演奏する人、物を売る人などさまざまです。欄干には聖人達の像が一定間隔で並んでいます。日本でお馴染みのザビエルさんも立っています。ここでも右端の像は触ると御利益があるそうです。橋からのプラハ城の眺めが素晴らしいです。 |
橋の両端に塔がありますが、そこからの写真が最高です。旅行のパンフレットはほとんどそこから写したものです。幾らかお金を出しますが上りました。 | ![]() |
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カレル橋の塔から |
一番上は狭くて遮る物がありますが、何とか撮れます。上から見ると人の多さに驚きます。先月の洪水で流されなくて良かったです。いまだに川幅いっぱに水量がありました。 |
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天文時計 | 天文時計拡大 | 旧市街広場 | 上からのテーン教会 |
午後から自由時間になり旧市庁舎の天文時計を見ました。毎正時小窓から人形が顔を出し最後に鶏が鳴いて時を知らせます。それを見るために黒山の人だかりですが、始まればあっけなく終わります。2回も見ました。 ついでに時計の上の塔まで上りました。ここからプラハの町並みがよく見渡せます。真下は旧市街広場でヤン・フス像が中心にあります。正面にはティーン教会の尖塔が聳えています。反対には遠くプラハ城が見えます。まさに百塔の街です。 |
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ヤン・フス像 | 聖ミクラーシュ教会 | ティーン教会 | 火薬塔 |
旧市街広場にはヤン・フス像があり、周りにベンチが置かれ休めるようになっています。ヤン・フスは腐敗したカトリック教会の宗教改革を行って火刑に処せられたそうです。広場からひときわ聳えて見えるのはティーン教会です。中に入ってみましたが丁度ミサの最中でした。 フス像の奥には聖ミクラーシュ教会があります。中で美しい清らかな音楽が流れていました。同じ名前の教会が別のところにもあるようです。これらの中小の教会では音楽会が開かれチケットを売っていました。 火薬塔はかって町の門であったり、火薬庫になったりしたもので、高さ65mもあります。これには下を通っただけで上りませんでした。 17:00〜18:00教会での音楽会のチケットを買って聞きました。100人くらい入るミラーチャペルと言う教会でピアノ連弾でした。けっこう迫力がありました。 18:30タクシーでホテル帰還。夕食はまた出かけるのが面倒なので手持ちのもので済ませました。 |
七日目 9月22日 プラハ 曇/晴/雨 |
5:40起床、6:40〜7:10朝食。今日はプラハ郊外の古城を巡る一日です。 |
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フルボカー城 | 塔 | 城門の取っ手 | 花 |
7:50プラハのホテル出発、フルボカー城に向かいました。今日は日曜日なのに市内は車が混雑していました。途中元祖バドワイザーのビール工場の横を通りました。アメリカのバドワイザーはチェコの移民が始めたそうです。10:10フルボカー城の下に到着。城は丘の上にあります。歴代のチェコ王や権力者の所有を経て17世紀にドイツの貴族の所有となって現在の姿になったもので、ボヘミアの古城のなかで最も美しいと言われています。内部も見学しましたが家具調度類すべてが立派でこれが貴族の暮らしなのかと感心しました。城門の取っ手が面白い形をしていました。内部は写真禁止です。 11:45フルボカーを出発しチェスキークルモルフに向かいました。12:20チェスキークルモルフ着。12:40〜13:30昼食、美味しかったけど何だか日本人が多かった。 |
この町は中世の面影を強く残していると言われこの町を好む人が多いそうです。流れている川はモルダウ川(エルベ川)の最上流で、先月の洪水の被害がひどかった所です。店の地下室を乾燥させるため送風機で風を入れているのを数箇所で見ました。 | ![]() |
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チェスキークルモルフ城 | 町の屋根 |
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13:30〜14:40フリータイムで広場で座ったり、教会に入ったりしてそぞろ歩き楽しみました。町を歩くと大半がお土産やになっていて沢山の観光客がいます。町から城を見上げると尖塔が目立ちます。 |
町 | 怖い犬 |
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15:00〜16:00チェスキークルモルフ城見学。プラハに住む若い日本人ガイドさんから各部屋の説明を聞きました。 |
城入り口 | 城から1 | 城から2 |
最初に入ったのは礼拝室で、貴族のお偉いさんが座る場所は高い位置にありました。ここまでは覚えているのですが後は色んな城や教会を見たのでごっちゃになって分からなくなってしまいました。そもそも写真禁止がいけません。イギリスなんかはおおらかですけどね?しかし城から外は勿論OKで、城からの町の眺めは屋根の色が統一され素晴らしいものです。 16:15チェスキークルモルフ出発、しばらく走ると土砂降りの大雨、城にいた時も雨が降ったり晴れたりしましたが、よく天気が変わるところです。 |
19:30プラハのビアレストランに到着。バンドが付いた賑やかなレストランでした。皆さん本場の黒ビールで乾杯です。 | ![]() |
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ビアレストラン | 黒ビール |
21:00ホテルに帰りました。明日はオーストリアに向け移動です。 |
八日目 9月23日 プラハ→ウイーン 曇(小雨) |
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5:30起床、6:30〜6:45朝食、7:00ホテル出発。今日は大忙しでした。プラハの町は月曜の朝のラッシュ時間で混雑していました。市内を抜け高速に入ると霧に覆われました。10:20オーストリアとの国境に到着。 |
霧の高速 | ウインナーシュニッツェル |
EUの玄関口になるから警備が厳しいのだそうです。チェコからのトラックが延々と入国審査待ちをしている横をすり抜けて10:50オーストリアに入国しました。国境地帯は何処の国も撮影禁止です。国境を越えると葡萄畑が続きます。チェコもオーストリアも国の面積は小さくても見渡す限りの大平原です。 12時ころ憧れのウイーン着。昼食はウインナーシュニッツェルと言う豚肉のカツレツでした。大きいけどたいらげました。 |
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ベルヴェデーレ宮殿 | ベルヴェデーレ庭園 |
13:00〜17:20ウイーン市内観光、最初にベルヴェデーレ宮殿に入りました。この宮殿はオスマントルコの侵入を防いだ英雄オイゲン公の夏の離宮で1716〜1723年に作られたそうです。内部は現在美術館になっています。庭の広大さに呆気に取られてしまいます。 車窓からオペラ座や国会議事堂や市庁舎などを見ながらリンクを一周してシェーブルン宮殿に来ました。 |
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シェーンブルン宮殿(正面) | マリアテレジア |
15:45〜17:00見学。ここもハプスブルブ家の夏の離宮と言われ、壮大な庭園、豪華絢爛たる宮殿でヨーロッパを半分ちかくを席巻した栄華を今に伝えます。外観はマリアテレジア「イエロー」で統一されています。1時間くらい宮殿内部を見学しました。 | ![]() |
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庭園 |
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この部屋がマリアテレジアの何々、この部屋がマリアテレジアの何々・・・あまりの豪華さに息を呑むばかりです。写真は勿論禁止です。宮殿内の写真はパンフレットからです。 |
大広間 | 百万グルデンの間 |
17:30ホテルに入りました。先ほどから小雨になり気温がぐっと下がってきて寒く感じられるようになってきました。ホテルはシェーブルン宮殿の隣の駅にある「ルネッサンス」です。 | ![]() |
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ウイーンのホテル |
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7時にバスで出かけ、ホイリゲで夕食。バイオリン演奏付きです。このレストランは絞りたてのワインで有名のようです。この9/中ころだけまだ醗酵していないジュース状のものもありました。 |
ホイリゲの夕食 |
この辺りはベートーヴェンが住んでいて近くをあちこち引っ越した所だそうです。9時頃ホテルに戻りました。雨がザーザー降っていました。 |
九日目 9月24日 ウイーン 曇(小雨) |
このウイーンのホテルにはご飯に味噌汁と海苔の日本食が用意されていました。今日は肌寒い曇り空、一日自由行動の日です。8:45ホテルの近くの地下鉄の駅で「一日乗車券」を購入、U4に乗って出発。 |
始めにシュテファン寺院に来ました。リンクの中心にあり、ウイーンのシンボル的存在です。12世紀に作られ今の形になったのは1500年頃だと言われています。モザイクの鮮やかな屋根に特徴があります。 |
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シュテファン寺院 | 祭壇 |
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またもや塔の上に上りました。北塔の60mのテラスからウイーンを眺めました。遠くに映画「第三の男」の舞台になった大観覧車などが見えました。 |
塔の上から | 大観覧車 |
この寺院を出て、地図を頼りにモーツアルトのフィガロハウスに行きました。ごく近くだったのですぐ分かりました。ここで交響曲40番の第一楽章をヘッドフォンで聞き、記念に小夜曲のCDを買いました。 |
次に昨日行ったベルヴェデーレ宮殿のなかにある19,20世紀美術館に地下鉄と路面電車を乗り継いで行こうとしたのですが、乗った電車の車両故障に遭うハプニングにもかかわらず行き着きました。 | ![]() |
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クリムトの接吻 | カールス教会 | 祭壇 |
ここではクリムトの絵が最大の見世物です。「接吻」の前は黒山の人だかりでした。厳重に写真禁止です。左の写真はパンフレットのコピーです。ここからまた電車でオペラ座近くまで戻り日本食堂「天満家」で昼食、まずまずの味でした。 |
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ここから歩いて市立公園に行ってヨハンシュトラウスさんに会おうと向かったのですが、方角が少しずれたようでカールス教会に出てしまいました。ついでに見学しました。それからまた探し始め通行人に聞きながらやっとヨハンシュトラウスの銅像に巡り会えました。目出度し目出度し!! |
ヨハンシュトラウス | ザッハトルテ |
市立公園を出てオペラ座まで戻り、足もくたびれてきたので、今度はかの有名なザッハホテルに入りウインナーコーヒに「ザッハトルテ」を頂きました。日本のケーキより少々甘かったのですが、隣に座ったアラブ系の男性がケーキのお代わりをしていました。 |
続いて今度も市電に乗り美術史美術館に行きました。ここは分かり易い所でした。ラファーエロ、レンブラント、ルーベンス、ヴェラスケス、ブリューゲルなど著名な画家の作品が並んでいます。 | ![]() |
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美術史美術館 | 入り口階段 | ブリューゲル |
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これらの絵画はハプスブルグ家がその威信をかけて集めたものだそうです。建物自身も宮殿顔負けの立派さです。NO−Flashで撮影可。 |
ラファーエロ | ベラスケス |
昨日シェーンブルン宮殿の見学の際、音楽会のチケットを買っておいたので夜また出かけました。オーケストラ、声楽、バレーと多彩なもので十分楽しめました。20:30〜22:10 | ![]() |
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シェーンブルン宮殿の音楽会 |
「参考」A席=50ユーロ、B席=43ユーロ A席は前の方です。C席まであります。 22:35ホテルに帰りました。今日は「一日乗車券」を11回も使いウイーンをフルに楽しみました。 |
十日目 9月25日 ウイーン→センテンドレ→ブタペスト 曇(小雨) |
8:25ウイーンのホテルを出発し、ハンガリー国境を目指しました。市内を抜けると広大な農業地帯になります。来る前はオーストリアは山ばかりだと思っていました。9:25ハンガリーとの国境です。ここでもトラックの長い行列が出来ていますが、観光バスはなんなく入国出来ます。 |
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次に幹線道路からそれて田舎道をヴィシェグラードに向かいました。ここで王様の帽子を被せられて昼食。この辺りはかってハンガリーの中心だったことがあり、王宮跡・要塞跡・大聖堂などがあります。 |
ウイーンの高速道路 | ハンガリーの田舎 |
14:00〜14:50急な坂を上って要塞跡を見学しました。ところが雨は降るは、霧で霞むは肝心なドナウ川の直角の曲がり角が全然見えません。霞んでいますがドナウ川は大きい、本当に大きい、今まで見た川で一番です。 | ![]() |
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ヴィシェグラード | ヴィシェグラード要塞 |
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次にセンテンドレに来ました。この町は絵のように美しいと言われ画家達が好んで住み、小さな美術館や博物館が沢山ありました。その内のマルギット美術館を見ました。小さな町中観光客で溢れています。 |
センテンドレの中心 | お土産や |
レース編みや刺繍など、それにパプリカ(なんば)のお土産が人気のようです。パプリカはその辛さが等級分けしてあるとか? | ![]() |
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パプリカを売る店 | パプリカ |
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センテンドレの乗船場で、上流から大きな船が着き17:15乗船。日本人は我々の11人のみ、ドイツ人が多いようです。 |
センテンドレの乗船場 | ドナウ川下り | ブタペスト国会議事堂 |
ブタペストまで約1時間の船下りです。ブタペストに近づくにつれ雨が上がり始めました。船からの景色、とりわけ国会議事堂の眺めが素晴らしかった。18:20ブタペスト着。 |
一旦ホテルにチェックインして、19:00 またバスでディナーショウのレストランまで行きました。超特大のピペットでワインをグラスに注ぐのには呆気に摂られました。 | ![]() |
ディナー |
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ショウは歌あり、踊りあり、さっぱり分からないけど楽しいものでした。男性のダンスはコサックダンスに似ています。 |
ディナーショウ |
21:30 ホテルに戻りました。ホテルはドナウ川の中州にある温泉プール付きのホテルでした。ハンガリーは各所で温泉が湧き出て保養施設として活用しているそうです。但しプールは水着着用です。 | ![]() |
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ブタペストのホテル |
十一日目 9月26日 ブタペスト 晴 |
今日は昨日と打って変わって晴天になりました。天気予報では最高気温が13℃と書いてあります。かなり寒く感じます。午前中ブタペスト市内観光、午後自由行動になります。 |
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8:55 観光出発、まず王宮に向かって坂を登ると漁夫の砦に着きました。 |
下からの漁夫の砦 | 漁夫の砦 | イシュトバーン像 |
漁夫の砦とはその昔漁夫達が王宮の警護をしていたためこのような名前が付いたそうです。立派な石作りです。この横に初代国王「イシュトバーン」の騎馬像があります。紀元1000年頃の国王でそんなに古い話ではありません。 そもそもハンガリー人はアジア系民族と言われ、800年代ウラル地方から移動してきて東ヨーロッパの広い面積を奪ったのですが、その後モンゴル、オスマントルコ、ハプスブルグ家に服従し、挙句の果て世界大戦に二度も敗退してソ連に屈服させられ,領土は1/3になり500万人ものハンガリー人が今なお国外に取り残されてしまうと言う悲しい過去を持った国です。1989年に社会主義から脱皮して現在に至っています。 |
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マーチャーシュ教会 | 教会祭壇 | 教会地下 |
王宮の丘に聳えるのがマーチャーシュ教会です。尖塔の高さが80mもあります。13世紀に作られたものです。歴代の国王の結婚式や戴冠式にも使われたそうです。内部も装飾が施され立派です。地下は宝物館になっています。 |
現存する王宮は1950年代に再建されたもので、当初のものは幾多の戦乱で残っていません。王宮と言っても博物館、図書館や絵画館になっています。建物自体は近代建築でエレヴェータまで付いています。 | ![]() |
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王宮 | 王宮の丘からの展望 |
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この王宮の丘からのドナウ川方面の眺めが最高です。遠くにくさり橋、イシュトヴァン大聖堂、国会議事堂などが見えます。 |
王宮の丘からの展望 |
王宮の丘をバスが下りてきてくさり橋を通り国会義堂を見ながらイシュトヴァン大聖堂に入りました。 |
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バスからのくさり橋 | 国会議事堂 |
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初代国王イシュトバーンはそれまでのアジア系の宗教を捨てキリスト教を国教と定めた王様で祭壇の中央に祭られています。 |
イシュトヴァン大聖堂 |
キリスト以外が祭られているのは異例なことでハンガリー国民の王にたいする尊敬の念が如何に大きいかを示しています。ヴァチカンからの特別許可で手に持つ十字架も横に2本の線が入ります。 |
ドームは直径22m、高さ96mもあります。上りたかったのですが、時間がありませんでした。1905年完成、8500人を収容できるブタペスト最大規模の教会です。ステンドグラスも綺麗でした。 |
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大聖堂内部 |
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大聖堂のよこにあるレース編みや刺繍を売っているお土産やに連れて行かれました。ハンガリーの特産なのでしょうか。家内が小さなものを買っていました。 |
レース編みの店 |
午前中最後に英雄広場に行きました。ハンガリー建国1000年を記念して1896年作られたそうです。 | ![]() |
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英雄広場 |
馬に乗ったマジャール族(ハンガリー人)の族長アルバートを先頭に、後ろに初代国王イシュトヴァーンや繁栄を築いたマーチャーシュ国王など14人の銅像が並んでいます。塔の上にいる人はイシュトヴァンにキリスト教を教えたガブリエルだそうです。現地ガイドの人によればハンガリーがキリスト教に変えたからこそ今日国が存在するのだとのこと。この意味でイシュトヴァーンがハンガリー国民の最も尊敬する人物になっています。 ハンガリーはアジア系の民族と言われますが、日本人から見るとヨーロッパ人そのものです。少し黒髪の人がいる程度です。同化してしまってアジアの血が薄まったのでしょうか?ただ言語だけは維持しているそうで、名前と苗字の順序は日本と同じだそうです。一部蒙古斑のでる赤ちゃんもいるようです。 |
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12:40英雄広場から繁華街に戻って解散、最後の自由行動です。ヴァーツィ通りを歩いているとレストランの客引きに誘い込まれて昼食。名物のグヤーシュが美味しかったです。辛いのだと思って二人で1個しか取らなくて失敗しました。 |
昼食 |
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くさり橋 |
食事の後地図を頼りに歩きました。まずくさり橋をこの足で歩いて見ようとドナウ川に出て川沿いに歩きました。先月の洪水で川沿いの電車の線路まで冠水したらしく砂が堆積していました。橋そのものは単なる鉄の橋で車がどんどん通りちっとも面白くありません。カレル橋と違って新しいようです。この橋は夜点々と照明して鎖状に見えるのが良いようで、夜来なければ意味がありません。 |
次にてくてく歩いてオペラハウスに行きました。立派な建物で他の国のオペラ座に引けを取りません。リストの記念館も近くにあったのですが、買い物を頼まれていてヘレンドに戻りました。ティーカップを買って(マイセンの半額)夕方6時頃ホテルに戻りました。観光の最終日はこのように終わりました。 | ![]() |
オペラ座 |
十二日目 9月27日 ブタペスト→ 曇 |
6:00起床、7:15〜8:00朝食。いよいよ旅も終わり帰国の日になりました。今日はどんより曇っています。 |
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9:30ホテル出発。バスが空港に向かう時ドナウ川沿いに走るので、王宮、くさり橋、エリザベート橋、自由橋などを 見ながら進みます。 |
さようならブタペスト |
オーストリーの圧制に苦しみながらも橋の名前にエリザベート(愛称:シシ)と付けられています。オーストリー妃のエリザベートはハンガリーをこよなく愛し、マジャール語(ハンガリー語)を習い、頻繁にブタペストに滞在したそうです。 | ![]() |
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さようならブタペスト |
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10:00 ブタペスト空港着。ハンガリーの空港はここ1箇所だけだそうです。国内便はありません。ウイーンまでTyrolean航空のプロペラ機でした。 |
ブタペスト上空 |
OS-5714便 DASH400型72人乗り 12:05 ブタペスト離陸 12:45 ウイーン着陸 乗り継ぎ時間は1時間ちょっとで今度も短かった。待ち時間に最後の紅茶やチョコレートのお土産を買いました。 14:10 ウイーン離陸 オーストリー航空 OS-051便 A340-300型 291人乗りの飛行機 15:10 飲み物 16:00 食事 |
十三日目 9月27日 →成田 |
6:00(日本時間):簡単な食事 7:55 長いシベリア横断の末、成田着陸。10時間45分の飛行時間でした。 成田からバスでYCATまで来て、タクシーで自宅に11:45戻りました。 完 |
旅の感想 |
旅行先の旧東ドイツ、チェコ、オーストリア、ハンガリーは日本と同じ第二次世界大戦の敗戦国 でありました。チェコやハンガリーまで敗戦国であるとのイメージがありませんでした。爆撃の被害が大きく古いものは教会を除いて残って おりません。 |
旧共産圏は自由主義になって日も浅く経済的にはまだ恵まれていないようです。ポッダムなどで古くて買い手のつかないような建物が多く見られます。 |
どこもトイレに苦労します。ほとんど有料です。只の公衆トイレは見かけませんでした。いつも小銭が 必要です。 |
ウイーンを除いて水道水は飲用不可です。ベルリンの水は黄色でした。頻繁に水 を買う必要があります。 |
自由行動の時の乗り物にも苦労します。ウイーンを除いて地下鉄や流しのタクシーは危険と 言われています。優良タクシーをホテルや店で呼んでもらうことになります。 |
一ヶ月前の大洪水の後で、ドレスデン、マイセン、チェスキークルモルフは建物の側壁に人の高さくらいの位置に線が付いていました。そこまで水に浸かった訳です。このためドレスデンの絵画館が休館になりラファエロの聖母子像が見られませんでした。 |
ドレスデンはさすがかってのザクセン王国の首都だけあって由緒ある建築物が沢山あります。戦争で英国空軍に壊滅状態にされたそうですがツヴィンガー宮殿やオペラ座など立派に修復されていました。爆撃で破壊されたプロテスタント教会はその残骸を用いて今なお修復中でした。 |
プラハでカレル橋のたもとの塔に登り王宮をバックに橋の写真が撮れました。橋の写真はあの位置が最高です。青空ではなかったのが残念無念。 |
チェコの古城を二箇所見ましたが、昔の貴族の豪華な生活が偲ばれます。家具や調度類に絵画が当時のまま になっています。マリアテレジアのそっくりさんも住んでいて本人が都合が悪い時に代役を勤めたとか?ハプスブルグ家の本拠地がプラハの 時代もあったそうですからあり得ることかもしれません。 |
ウイーンは二日くらいではほんのさわりしか観光出来ません。一週間くらいかけてじっくり 見るところでした。もう一度来ます。シェーンブルン宮殿の内部の豪華さ、庭園の広大さヨーロッパの富を集中させたかのようです。こんな宮殿がウイーンにいくつもあるのですから驚きです。 |
ウイーンではシェーンブルン宮殿で音楽会を聞きました。歌あり踊りあり吹奏ありで楽しいものでした。 最後は必ず「美しき青きドナウ」で終わります。プラハでは教会でピアノ連弾の音楽会を聞きました。個人行動でこのような催しに 参加するのもいいものです。 |
プラハやブタペストの王宮と呼ばれるものは幾多の戦乱で昔からのものは残っていません。あっても戦後の現代建築のもので図書館など公共施設になっています。王宮にある昔からのものは教会です。王宮=教会です。とても立派な教会です。教会だけは爆撃しなかったのでしょう。 |
ハンガリーに入るとかっての共産党時代の国営工場が無残な廃墟のようになっています。哀れを覚えました。 現地ガイドさんによればロシア語を強制的に学校でやらされたけど全然身につかなかったと言っていました。 |
エルベ川、ドナウ川とヨーロッパの大河を見たり船に乗ったり出来てよかった。ドナウ川は 私の見た川で一番大きいと思います。 |
9月なのにどこも観光客が多かった。ヨーロッパの夏休みは8/末で終わるはずだが? ただ年配者が多かったから休みは関係ないかもしれません。(こちら同様) |
9/中〜9/末のこの時期結構気温は低く寒いです。日本より10℃以上低いと思ってください。 晴天でも最高気温が13℃です。セータや防寒具と雨対策が必要です。 |