千國写真館
金桜神社 拝殿
昇・降竜記
当金桜神社には初代左甚五郎作と伝えられる昇・降竜が奉納されており、鎌倉時代の社殿と共に全国に其の名を知られてまいりました。
 昭和三十年の大火により全てこれを焼失して以来各方面からこれを惜しみ再現復活が要望されてまいりました。
 昭和五十五年ご神緑により東京銀座祝橘診療所河孝雄医博により日辰合友堀友二氏に制作依頼され同五十八年八月二十七日奉納されました。
ケヤキ一本作りの全長一メートル七十センチの此の竜は夫々水晶の玉を抱いております。
当神社の水晶のお守りは深い関係をもっております。
   鬼をさる王なれば天廣疫病の恐れなし
   如意宝珠なれば宝に於いてあきみてり
   国を守る王なれば息災にして天か下治む
   竜王の王なれば水火に於いて自在なり
   天地の鏡なれば萬の事曇りなし
   神符なれば不死不老悪衆不入病なし
の玉依姫命の神託通り強い霊力をもつものと信仰されたものです。
昇仙峡のもつ神秘的な風景と日本三大霊場の此の御岳の里の古い歴史の中に数多い伝説の起源ともなった,
昇・降竜の由来は、又此の新しい竜の再現によって高いご神徳を遍く蒙られるものと信するものでございます。 
 
神木「鬱金の櫻」(うこんのさくら)
 創紀二千年と云う古い歴史をもつ当神社が里宮として約千五百年前に、此の御岳の里に祀られてより神仏習合時代に入り、役の行者小角の以金為神 以桜為霊 と云う託宣より「金の成る木の金櫻」として崇めらえたと云う。
景行天皇の御代日本尊命が植えられた桜をも謂う「うこん」とは上古の昔より皇のお召物の色とされこの染料となる植物より此の名がつけられたものと考えられる。(大阪造幣敷地内に「御衣黄」と云われる桜が此の桜に結似しているが恐らく此の由来に起因するものだろう 現在のこの神木は六〜七代目とも云われ四月下旬から五月上旬黄金の大輪の花をつける。
此の季節この桜を拝みに水晶の守りをうけると一生涯金運紀恵まれ厄難解除のご神徳をもうけられるものと全国各地からの参拝者で賑わっております
    平成三年四月吉日
          金桜神社  宮司 窪坂豊臣   (説明板から)
金桜神社
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神社
山梨県甲府市御岳町
左甚五郎作 登り龍
左甚五郎作 降り龍
御神水
(桜の写真が無い、いつも時期はずれになってしまう。来年行こう
金桜(黄桜)
左甚五郎・昇降龍
御神水
桜の咲く 金桜神社は こちら