親不知・子不知の由来
親不知・子不知の名のおこりについては、いくつかの説がある。
その一つは波打ちぎわを通るときには、親は子を忘れ、子は親をかえりみるいとまがなかったことから、「親しらず子しらず」だという。
一説では、寿永の昔、平清盛の弟池大納言平頼盛は、平家滅亡後も一人栄えたが、京童の悪□にたえきれず、その所領である越後五百刈村へ退隠した。
この夫の後をしたって、ここを通りかかった夫人が、二歳の愛児をふところからとり落とし波にさらわれてしまった。悲しみのあまり詠んだ歌が
親しらず子はこの浦の波枕 越路の磯のあわと消えゆく
であった。この歌によって、それ以来、この地を親不知・子不知とよぶようになったともいう。
新潟県 青海町 (説明板から)