千國写真館
親不知・子不知
新潟県西頸城郡青海町大字外波

親 不 知
風景
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親不知・子不知の由来

 親不知・子不知の名のおこりについては、いくつかの説がある。
その一つは波打ちぎわを通るときには、親は子を忘れ、子は親をかえりみるいとまがなかったことから、「親しらず子しらず」だという。
 一説では、寿永の昔、平清盛の弟池大納言平頼盛は、平家滅亡後も一人栄えたが、京童の悪□にたえきれず、その所領である越後五百刈村へ退隠した。 この夫の後をしたって、ここを通りかかった夫人が、二歳の愛児をふところからとり落とし波にさらわれてしまった。悲しみのあまり詠んだ歌が 
    親しらず子はこの浦の波枕      越路の磯のあわと消えゆく
であった。この歌によって、それ以来、この地を親不知・子不知とよぶようになったともいう。

      新潟県 青海町   (説明板から)
水平線附近は能登半島です
親不知ピアパーク(道の駅)
親不知ピアパーク(道の駅)から親不知方向
高速道路も苦労しています
親不知ピアパーク(道の駅)に在る碑
沈む夕日の方向